『宇治拾遺物語』巻第六「僧伽多、羅刹国へ行く事」より

鬼の棲む島

 昔、インドに僧伽多(そうかた)という人がいた。
 五百人の商人を船に乗せて、財宝豊かな海外の港を目指して出帆したが、にわかに激しい嵐に遭遇した。
 船は南へ南へと矢のような速さで吹き流された。やがて見知らぬ陸地に寄りついたので、乗り組みの人々は『やれ、助かった』と、われがちに船を下りた。

 上陸してしばらく休んでいると、たいそう美しい女たちが十人ばかり、歌をうたいながら通りかかった。
 知らぬ世界に漂着して心細いかぎりだったのが、こんな大勢の美女を見てすっかり嬉しくなり、口々に声をかけて呼んだ。
 呼ばれて女たちは寄ってきた。近くで見るといちだんと美しく、その愛らしさは比類ない。五百人すべてが女を見つめて、賛嘆すること限りなかった。
 商人たちは女に話しかけた。
「我らは財宝を求めて船出した者ですが、嵐にあって見知らぬところへ流れ着き、途方に暮れていました。しかし、あなた方の様子を見たら、辛い気持ちは吹っ飛んでしまいました。どうか今すぐ我らを、あなた方の家に連れていってください。船が大破して、帰りようがないのです」
 女たちは、
「それなら、ついておいでなさい」
と言って、先に立って歩きだした。
 女たちの家は、白く高い土塀を大きくめぐらし、厳めしい門をそなえていた。商人たちを中に入れると、すぐさま門が閉ざされた。
 敷地の中にはたくさんの家が建ち並んでいた。男の姿は一人も見かけない。女ばかりだったので、商人たちは思い思いに女を妻にして、そこにある家に住んだ。夫婦の情愛はすべて、限りなく深いものとなった。

 僧伽多は、妻を片時も離れたくないほどいとおしんだ。しかし、そうして睦まじく暮らす中にも、変に思うところがあった。
 妻は毎日、長いこと昼寝をする。寝入っているときも美しい顔なのだが、なにか少し気味悪く、怖ろしげに変貌しているのだ。僧伽多は、これは何かわけがあるぞと思って、ある時そっと起きてあたりを調べて回ると、壁で隔てられたところが幾つもあった。
 うち一つの箇所は、高い土壁で囲まれたうえに、戸にも堅く錠がさされていた。壁の角をよじ登って中を覗くと、そこには多くの人の姿があった。ある者は既に死んでおり、ある者は生きてうめき声を洩らしていた。白骨死体や、血に染まった死体がたくさん転がっていた。
 僧伽多は、まだ生きている一人を手招きして尋ねた。
「あなたがたは何者ですか。なぜ、こんな目に遭っているのですか」
 その人の答えは、恐ろしいものだった。
「私は南インドの者だ。貿易のために航海しているとき、暴風にあってこの島に吹き寄せられ、絶世の美女どもに騙されて、故郷に帰ることも忘れて暮らしていた。だが、あの女どもが産む子供は女ばかりだ。そして、男が自分たちをただただ可愛がって暮らしているうちに、別の商船が島に寄りつくと、その船の男を新たにたぶらかし、元の男をこのように捕らえて、毎日の食糧にするのだ。おまえたちも、また船が来たら、こんな目に遭うだろう。なんとかして早く逃げるがよい。鬼の女は昼、六時間ばかり昼寝をする。その間に、逃げられるなら逃げよ。私はもう駄目なのだ。ここは四方が鉄で固められているし、その上、膝の裏の筋を切られているから」
 このように泣く泣く言うのを聞いて、僧伽多は『おかしいとは思っていたが、そうだったのか』と急ぎ戻った。

 他の商人たちに話すと、みな驚き慌てた。とにかく、こうしてはいられない。女の寝ている隙に浜まで逃げた。浜で全員が声をあげて、はるかな浄土に向かい観音の助けを祈願した。
 すると沖の方から巨大な白馬が、波を泳いで商人たちの前まで来て、うつぶせに伏した。ありがたい、願いが届いたのだと思って、みな白馬に取りついて乗った。
 女どもが昼寝から起きてみると、男が一人もいない。
「しまった、逃げたぞ!」
 みんなして浜まで出てみると、男たちが葦毛の馬に乗って海を渡っていくところだ。女どもはたちまち背丈三メートルあまりの鬼の姿になり、何十メートルも躍り上がって叫び罵った。
 商人たちの中に一人、相手の女がこの世にまたとないほど素晴らしかったことを思い出した者がいたが、その未練のせいだろうか、ふと馬の背から滑り落ちた。鬼はその男を奪い合い、引きちぎって喰らった。
 馬は商人たちを乗せて海を行き、やがて南インドの西の浜に上陸すると、身を伏せた。人々が喜び合いながら降りると、馬はかき消すようにいなくなった。

 僧伽多はこうして辛くも助かったものの、あまりにも怖ろしい体験だったので、それを人には語らなかった。
 ところが二年後、かつて妻であった鬼の女が、僧伽多の家に訪ねてきた。以前よりもいっそう魅力的になっていて、言いようがないほど美しい。
 女は語りかけた。
「前世からの契りなのでしょうか、あなたを限りなくお慕いしておりましたのに、そんな私を捨ててお逃げになったのは、どうしてなのですか。私たちの国では、ときどき怪しい鬼が出て人を喰うことがあります。ですから門に厳重に錠をさし、塀を高く築いているのです。あのときも、大勢の人が浜に出て騒いでいる声を聞いて現れた鬼どもが、怒って暴れていたのです。決して私たちの仕業ではありません。あなたがお帰りになって後、あまりに恋しく悲しく思えて……。あなたも、同じ気持ちではないのですか」
 こう言ってさめざめと泣くのを聞けば、普通の人の心なら、言うとおり信じてしまうだろう。しかし僧伽多は激しく憤って、太刀を抜いて女を殺そうとした。
 女はこの仕打ちを限りなく恨んだ。僧伽多の家を出ると、その足で宮廷に参上して、
「僧伽多は、私の年来の夫であります。それなのに私を捨てて、夫婦として暮らそうとしません。この不正を、誰に訴えたらいいのでしょうか。どうか陛下、この是非を裁いてくださいませ」
と申し出た。
 宮廷にいた公家や殿上人は一人残らず、女の美しさに心を奪われてしまった。皇帝もそれを聞いて物陰から覗いたが、なるほど、言葉で表せぬほど素晴らしい。玉のように美しいこの女に比べれば、大勢いる女御・后はすべて土くれのようなものに思えた。

 皇帝は『これほどの女を拒む心が分からない。どういうわけか』と思って、僧伽多を呼んで尋ねさせた。
 僧伽多は、
「あれを宮廷にお入れになるなど、とんでもない。なんとも恐ろしい者なのです。必ず忌まわしい事件が起こるに違いありません」
と言上したが、皇帝は意に介さなかった。
「僧伽多は馬鹿なやつだな。もうよいわ。後ろの門から連れて来い」
と蔵人を通して命じたので、女は夕暮れ方に参上した。
 皇帝が女を近くに呼び寄せて見ると、容貌といい姿形といい物腰といい、すべて限りなく心惹かれるありさまである。皇帝は女と床に入って後、次の朝もその次の朝も起きて来ず、全く政務を怠ってしまった。
 僧伽多が心配してやって来た。
「忌まわしいことが起こりますぞ。ああ情けない。皇帝はもうすぐ殺されてしまう」
 しかし、誰も気に留める者はいなかった。
 そうして三日目の朝、まだ御格子も上がらぬ時刻に、女が皇帝の寝所から出てきた。
 女は目つきが一変して、世にも恐ろしげな顔で立っていた。口には血がついている。しばし周囲を見回してから、軒より高く飛び上がり、雲に入って消え失せた。
 驚いた人々が、この変事を報告しようと寝所に参上したところ、御帳の中から血が流れ出ていた。不審に思って内を見ると、血まみれの皇帝の頭が一つ転がっていた。ほかには何も残っていなかった。
 宮廷は目も当てられない大騒ぎとなった。臣下の男も女も、泣き悲しむことかぎりなかった。

 亡帝の子であった皇太子が、やがて帝位につくと、僧伽多を呼んで、事の次第を問うた。
「こんなことが起こると思って、恐ろしい者ですからただちに追い出されるようにと申し上げたのですが……。どうか陛下のご命令を下さいませ。あの者どもを討ち滅ぼしに参りたく存じます」
と言上すると、
「申すとおりに命ずる」
とのことだった。
「それでは、帯刀の兵士百人と弓矢の兵士百人を早船に乗せて出発させるようはからってください」
 僧伽多は、この軍を率いて鬼の国に漕ぎ寄せた。
 まず商人のように装った者を十人ばかり浜におろすと、前と同様に玉のごとく美しい女どもが歌を歌いながら近づき、彼らを誘って女の城に連れて行った。
 その後をつけていった二百人の兵士が、城に乱入した。、
 斬りかかり矢を射かけると、女どもは、しばし何か訴えるような哀れげな様子を見せていたが、僧伽多が大声を上げ、走りまわって兵に下知しつづけたので、ついに鬼の姿を現した。
 大口を開けて反撃してくる鬼の頭を太刀で叩き割り、手足を打ち斬り、空を飛んで逃げる鬼は弓で射落とし、一人も討ち洩らさなかった。
 その後、家に火をかけて焼き払い、まるで廃墟の国にしてしまった。

 帰国して、朝廷に首尾を報告すると、かつての鬼の国は僧伽多に与えられた。
 僧伽多は、二百人の軍兵とともにその国に住み、たいそう豊かに暮らした。今はその子孫が主となっているということだ。
あやしい古典文学 No.417