『古今著聞集』巻第二十「武田太郎信光の生捕りたる猿の事并びに猿射を免れんとし牝鹿を指す事」より

猿狩り

 承久四年の夏、武田太郎信光が、駿河の国の浅間神社の裾野で狩りをしたことがあった。
 猿の群れを野原に追い出したうえで各々が射て、三匹を射殺し、三匹を生け捕りにした。
 屋敷に帰ってから、生け捕りにした猿どもを繋ぎ、その前に死んだ猿を置いたところ、一匹の猿が死んだ猿をじっと見つめていたが、やがて死骸にひしと抱きつき、そのまま息絶えた。
 その猿の妻かなにかだったのだろう。無惨なことだ。
 これは、罪あって武田家の預かりになっていた者が、狩りに伴われて直接に見たと語った話である。

 また、信光の弟の五郎信政が狩りをしたときのこと。
 一匹の大きな猿を木の上に追いつめて、さて射殺そうとすると、その猿は何かを指さして教える様子であった。
 不審に思って弓を引く手をとどめ、しばし見守った。猿はなおしきりに指さししている。その方向に人を遣って確かめさせると、大きな牝鹿が一頭 隠れているのだった。
 『あの鹿を射て、自分を助けてくれというのだな。よく教えてくれた』と、信政はまず鹿を射殺した。猿は赦してやればいいのに、そうはせず、続いて猿も射殺した。
 その後、信政は折にふれて酷いことをしたと後悔し、写経を行ったとのことである。
あやしい古典文学 No.419