『新御伽婢子』巻二「人喰老婆」より

人喰姥

 京の大宮丹波屋町というところで米穀を商う六右衛門とかいう男が、旧暦九月中頃の夜遅く、室町錦小路に住まいする親しい人の病気見舞いに出かけた。

 月影冷や冷やとして、吹きとおる風がひどく身にしみた。時雨がたびたび降り過ぎるのを、傘傾けて四条通を東に歩むうち、なにやらぞっと怖ろしさがこみ上げて、思わず前をうかがい、後ろを返り見がちになった。
『こんな気味の悪い夜に、無理に行くこともなかろう。明日行けばよい』
 六右衛門は少し道を引き返したが、
『いやいや、大事な人の病気を見舞うのに、今夜を明日に日延べすべきでない。そうでなくても人の命ははかないものなのに、まして重い病気となれば、今の今もどんなに心細い思いをしていることか。そもそも遠国や海の向こうに行くわけでなく、野山の難所を越える道でもない。これしきで臆病風に吹かれるとは情けない』
と思い直し、自分を叱咤してまたそろそろと歩いていった。
 やがて堀川の辻に出て、橋を渡ろうとしたときだった。北西の釘貫門のそばから、
「なつかしや。のう、六右衛門」
と言ってよろめき出た者がある。
 暗い月影に定かでないものの、真っ白な髪を振り乱した八十歳ばかりと思しい老婆だ。青く光り輝く眼、耳まで裂けた大口を開き、大手を広げて迫ってくる。
 はっとたじろぐ六右衛門。咄嗟に木履(ぼくり)を脱ぎ捨て、傘をうちやり、東をさして無我夢中で逃げた。

 やっとのことで見舞い先にたどり着いたが、病人に気遣って怪しい話はせず、その夜はそこで明かした。
 翌朝、帰り道に堀川の辻を通りかかった。
 今さらながら身の毛のよだつ思いで、昨夜に脱ぎ捨てた木履が転がっているのを見れば、大きな汚らしい歯形が入って噛み砕かれていた。傘も引き裂かれ、骨も柄も叩き潰されていた。
 何ものの仕業とも知れなかったが、ある人の言うには、
「人喰姥というものが、このあたりで、風が凄くて雨の降る夜に出るということだ。きっとそれだろう」
とのことであった。

 明暦の頃、『壬生(みぶ)の水葱宮(なきのみや)に人喰姥というものが棲み、幼児をとって喰うそうだ』という噂が広がり、数日間、洛中洛外が大騒ぎになったことがあるという。徒然草に『応長の頃、伊勢の国から女の鬼になったのを連れてきたという噂で、京の町が騒いだ』とあるのに似たような事件で、確かに見たという人もいないが、嘘だとはっきりもしないまま、いつしか静まった。
 堀川は壬生に近い場所であるから、ここの辻の化け物もまた人喰姥と名づけたのだろうか。
あやしい古典文学 No.421