『梅翁随筆』巻之四「目黒在狂人の事」より

乱心! 剣術師範

 ある日の夜十時ごろ、目黒の百姓たちが、死んだ鶏を捨てに行った帰り道で、大小の刀を差した侍に行き会った。
 手に手に棒を持った人々を見て、侍は大いに驚いた様子で数メートル飛び退り、手早く袴の股立を取って身構えると、声高に呼ばわった。
「おぬしら、拙者を見損なうなよ。近ごろ物騒と噂されるこの道を独りで通るからには、腕に覚えがなくてたまるか。望みとあらば刀の切れ味を振る舞おう。命が惜しくば早々に立ち去れ」
 はったと白目を剥いて凄まれて、慌てた百姓たちは口々に、
「私どもは、まったく怪しい者ではありません。この辺の百姓です」
と説明したけれども、
「言うな言うな。油断は大敵なり。先んずれば人を制す」
 いきなり氷のごとき刀を抜いたと見るや、電光石火の早業で、瞬時に三人が斬り倒された。
 残りの者は、思いもかけぬ事態に動転して、わっと叫んで逃げ出した。

 その後、侍はなおも周辺を徘徊して、さらに三人を斬り殺した。
 夜が明けても立ち去らずにいたので、親兄弟を殺された者たちは、地元の人を大勢呼び集めて、仇を討つと号して取り巻いた。
 そのうちの一人が進み出て、鳶口をふるって撃とうとしたが、侍はそれを飛び越え、逆に真っ二つに斬り捨てた。
 他の者たちが梯子取りにしようとしたのを、切り抜けて走ったので、すぐさま拍子木を打ち鳴らして知らせ合い、前後の道を塞いだ。
 侍は、もはや逃れがたいと思ったのか、竹藪に入って切腹して果てた。

 この侍は、小川町と猿楽町に屋敷がある伊東播磨守長寛の家来で、剣術師範をつとめる者だった。当日、新田神社に参詣したが、その途中で発狂したようである。
 大勢の人を斬った刀は粟田口康綱の銘であった。比類のないわざものだが、康綱が後に乱心したからだろうか、その作の刀を帯びる者は狂気して人を殺すことがあると言い伝えている。実際に今、こういう事件が起こってしまった。

 刀は、作によって善悪があるのだろうか。最近は相剣の術が行われて、君主や貴人もこれを用いる。そのせいで、身分の低い者が相剣を大事なことだと心得て、祖先伝来の刀剣をおろそかにしたりするのは、大変な考え違いである。
 そうは言っても、高位に登る人や富貴になる人のほとんどは、べつに相剣選びするつもりなどなくても、吉相の剣を持っている。このことは千万人に一人も例外がないと、相剣先生が大言している。吉剣を得てにわかに運を開く小輩もまた少なくない。これが吉剣に徳があることの証拠のようにも見える。
 しかし、運の開く時節になったゆえに、吉剣がおのずから手に入ったのかもしれない。さらに、剣を求めることなどしなかったのに、身分を越えて急に昇進する人もいるわけだが、これはどう説明するのだろうか。
あやしい古典文学 No.423