東随舎『古今雑談思出草紙』巻之五「奇怪なる老女の事」より

厄介な老女

 人に心から同情し、難儀している者に深く情けをかけて助力することは、慈悲の心に基づいている。この上ない善いことであるが、あまり安易にしてはいけないことでもある。

 江戸の小日向石切橋のたもとに、菊屋藤左衛門という紺屋があった。
 いたって欲深い性質で、むさぼって飽くことを知らず、また道理を知らぬ愚か者であった。仏道を信心してはいたが、それはだた自分の強欲、すなわち我が家だけが富み栄えるのを願う心から起こったものだった。
 その藤左衛門は、天明三年の十月末日、上野大師に参詣した。
 冬の日は短い。帰り道は本郷のあたりで暮れたので、用意の小提灯で道を照らし、水戸侯の百軒長屋前を歩いていると、後ろから呼び止める者があった。
「もし、このあたりに旅籠はありませぬか。教えてくだされ」
 藤左衛門が立ち止まって振り返ると、歳のほどは六十くらいの上品そうな老女が、美しく着飾り、打ち掛けを羽織って立っている。
「このへんに旅籠はありませんぞ。どちらからいらっしゃったのかな」
と問うと、老女が言うには、
「江戸近在の中野の者です。御本丸大奥のお年寄方に幼少よりお勤めして後、お暇をとって里に縁づきました。近ごろ以前の主人のもとにご機嫌伺いに参り、御殿に逗留しておりましたが、今日 迎えの者が来たので、その者と共に浅草観音に参詣し、さて里に帰ろうとしたところ、日暮れ前に思いがけぬにわか雨。雨具の用意などないゆえ雨宿りするうちに、供の者を見失い、道に迷ってここまでまいりました。このような夜になっては、中野までは戻りがたい。旅籠屋があるならば泊まって夜を明かし、明日帰ろうと思って尋ねたのです。心中をお察しくだされ」
 いかにも難儀している様子なので、藤左衛門は同情した。
「それはお困りでしょう。わかりました。悪いようにはいたしません。私どもと一緒においでなさい」

 老女を伴って、道々、
「近所に田舎の人が泊まる百姓宿があります。そこへ案内しましょう」
などと話しながら、いったん石切橋のわが家に帰った。
 家の内に入って、あらためて老女を見ると、容貌といい物腰といい気品があふれ、気おされるほどである。
「わが子は文五郎といって、中野で名主を務めております。孫なども数多くおりますので、さぞかし家では皆、わたしの戻らぬのを心配していることかと、気がかりでなりません」
 このように語る様子からも、裕福に世を渡っている人の奥ゆかしさが漂ってくる。
 藤左衛門夫婦は懇切にもてなした。もてなしながら藤左衛門が心中ひそかに思うには、『きっと金持ちで相応の家柄の人だから、よく世話しておけば沢山の謝礼をもらえるにちがいない。それにまた、これを縁に懇意になったら、とにかく損はないだろう』。
 欲心をつのらせて、藤左衛門は言った。
「今夜はここにお泊まりなさい。明日になったら、送りの者をつけて、中野に戻られるようはからいましょう」
 老女はたいそう喜び、すっかり安心しきったようだったので、あれこれ世話して二階に寝させた。

 翌朝になって、食事をすすめたが老女は食べず、湯ばかり飲んで、これでいいと言っていた。
 そこで駕籠を雇って、送りの者を一人つけ、江戸の山の手の中野村へ向かわせた。藤左衛門は善い陰徳をしたと思い、家の者も寄り合ってその噂をしていた。
 ところが、その日の夕方四時過ぎごろ、かの老女を乗せた駕籠が、送りの者が付き添ったまま戻ってきた。
 どういうわけかと訊くと、駕籠かきの男と送りの者が答えるには、
「中野村は言うまでもなく、二三里四方の村々をずっと歩き回りましたが、文五郎という者は見つかりませんでした。当人に尋ねてもいっこうに要領を得ませんので、仕方なく戻ってまいりました」
とのことだった。
 藤左衛門は大いに驚き、老女にただした。
「あなたは中野村の名主文五郎の母だとおっしゃったが、あれは偽りですか」
「決して偽りではない。わが住む所は竹藪が多くあって、家を出るときは笹原の中をかき分けて出た。見つからなかったのは、おまえらの探しようが悪いからじゃ」
 老女は狂人のようにわけの分からぬことばかり言い、そらとぼけて平然としている。皆々もてあまし、どうしたものかと、近隣の者も寄り集まって評議した。
「江戸に親類か、または心やすい人はいませんか」
と問うと、
「うむ、甥は数寄屋河岸にある堺屋という薬種商の番頭だ。名は忘れたが、その者に尋ねたならば、わが身分も知っているはず」
と言うので、さっそく藤左衛門は、月のない夜分もいとわず、数寄屋河岸に訪ねていった。
 たしかに堺屋という薬屋があったので、そこの支配人に会って老女のことを話したところ、
「私の生国は伊勢で、幼年よりこの店に勤めております。中野あたりに知る人は全くありません。このことは、店の者みんなが知っていることです」
と、取りつく島もない返事であった。
 藤左衛門はむなしく帰り、この次第を言い聞かせたが、老女は、
「それは偽りだ。わが甥に違いない。尋ね方が悪かったのじゃ」
と言い返して横になると、高いびきで寝てしまった。

 老女の枕元に、藤左衛門と親しい人々が不安な気持ちで付き添って、あれやこれやと相談しているところに、はや噂が耳に入ったとみえて、町名主から通達してきた。
「このままにはしておけないので、夜が明けたら早々に奉行所へ訴え出るつもりだ。それにしても粗忽きわまる仕業だ。素性の知れない者を泊めてはならぬと、かねがね申し渡してあるのに、どういう了見でそのような者を泊めたのか」
 皆々これには大いにうろたえ、
「とにかく、明朝にはどこか余所へ行かせますから」
と詫び言した。
 藤左衛門は、はじめ陰徳のつもりで世話したことが今に至って収拾がつかず、もう茫然としていたが、隣家の津の国屋という菓子屋の主人が、ふと思いついたことがあって、老女を揺り起こした。
「あなたは、先日まで逗留していたという御殿の御年寄の所へ参られよ。さもないと、明日は公儀へ訴え出ねばならない。そうなれば、あなたは公儀の吟味糾明を受けて、面倒なことになりましょう」
 すると老女は応えて、
「なるほど。では、旧主のもとへ参るとしよう。しかしながら、土産がなくては参られぬ。菓子の用意をしてくれよ」
 菓子屋は、それは容易なことと請け合った。この次第を町名主方へ報告するとともに、夜の明けるのを待って菓子一重を用意し、
「これを土産にしなされ」
と老女に見せた。すると、
「こんな粗末な品を、持って行けるものか。上等の菓子二重にしてくれ」
と言う。ほとほと呆れ果てたが、しかたなく上菓子をいろいろ取り混ぜて二重に詰めて見せると、
「うむ、これでよい。わが旧主である御年寄は、おちえの方というのじゃ。送ってくれ」
 藤左衛門はこれを聞いて大いに喜び、気の利いた者二人を付き添いで行かせることにした。
 老女が二人を連れて出発しようとしたとき、小雨が降り出したので、傘や下駄の用意もしたが、老女は世話になった礼も言わず、泰然として出ていった。
 一同、なんとか首尾よく送ってきてくれよと願って、気が気でなかった。

 こうして付き添いとともに出ていったものの、老人の道はなかなかはかどらない。やっと平川橋の門際にいたって、老女は、
「ここで待っておれ。すぐに傘と重箱を返してやる」
と、送りの両人を腰かけに待たせておくと、傘で小雨をしのぎ、重箱の包みを提げ、悠々と橋を渡って御門内に入った。
 しばらくして御門の内から、奥女中の用を足す下男が籠を背負って出てきた。両人のもとに傘と重箱を持参して、
「ついさっき、途中の道で、この品を届けてくれと老女に頼まれたので、お届けする」
と言うので、二人は受け取って急ぎ立ち帰った。
 以上の次第を詳しく聞いて、藤左衛門は、思いも寄らない厄介をやっと払い出したと大いに喜んだ。このことを名主へ届け、家の者も近所の者もほっと安心した。

 後になってつらつら思いめぐらすに、奇妙なことばかりだ。
 ほかの所と違って平川御門は、婦人のばあい手形がなくては通れないのに、さりげなく入ったという。また、月末の日から三日まで、ずっと食事をとらなかった。聞き合わせるに、おちえという名の御年寄もいないとのこと。
 いかにも訝しい事件で、わけが分からない。あるいは狐狸のたぐいに化かされたものなのか。いまだにその不思議は明かされていないのである。
あやしい古典文学 No.427