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『今昔物語集』巻第九「震旦の莫耶、剣を造りて王に献じたるに子の眉間尺を殺されたる語」より |
眉間尺の仇討 |
昔、中国に、莫耶(まくや)という名人の鍛冶がいた。 当時の国王の后は、夏の暑さが我慢できなくて、いつも冷たい鉄の柱を抱いて過ごしていた。やがて后が懐妊して出産したが、驚いたことに、産まれたのは鉄の塊であった。 王が怪しんで、 「これは、どういうことなのだ」 と問いただした。 「わたくしは、何の過ちも犯しておりません。ただ、夏の暑さに堪えられず、常に鉄の柱を抱いておりました。もしかして、そのせいでこんなことに……」 王は后の答えで得心して、鍛冶の莫耶を呼ぶと、産まれた鉄塊をもって宝剣を造るよう命じた。 莫耶は剣を二つ造り、一つを王に差し出した。もう一つは手元に隠しておいた。 王が莫耶から受け取った剣を納めておいたところ、その剣は常に音を立てた。不思議に思って、 「この剣が鳴るのは、なにゆえか」 と、大臣に尋ねた。 「必ずわけがあるはずです。この剣は、ほんとうは夫妻二つあるのではないでしょうか。それだから、もう一つを恋い慕って鳴るのです」 大臣がこのように言ったので、王は大いに怒り、ただちに莫耶を召喚して処罰しようとした。 その王の使いがいまだ来ないうちに、莫耶は妻に語った。 「私は今夜、凶相の夢を見た。必ずや王の使いが来て、私は殺されることになるだろう。おまえの懐妊している子がもし男子だったなら、成長の後、『南の山の松の中を見よ』と告げてくれ」 そして北の門から出て南の山に入り、大きな木のほこらに隠れて死んだ。 妻は男子を産んだ。 その子が十五歳になったとき、眉間の幅が一尺もある異相だったので、名を眉間尺(みけんじゃく)と付けた。そして母親は、父の遺言をつぶさに語った。 母に教えられたとおりに、眉間尺が南の山の松のところに行ってみると、ひと振りの剣があった。その剣を手にすると、父の仇を討とうという気持ちがふつふつと湧き起こった。 同じころ王は、むやみに眉間が広い男が謀反を起こし、自分を殺そうとしている夢を見た。 夢から覚めて大いに恐れ、ただちに四方に命令を下した。 「眉間が一尺ほどある男が、どこかにきっといるはずだ。そいつを捕らえるか首を取ってきた者は、千金を与えて褒賞する」 王の命令のことを聞き及んだ眉間尺は、とりあえず深い山中に逃れた。しかし探索は国土にあまねく及び、ついに刺客の一人が山中で、眉間がたいそう広い者に出会って、喜んで呼びかけた。 「君は、眉間尺という人か」 「そうだ。わたしが眉間尺だ」 「われらは、王の命により、君の首と所持する剣とを求める者だ」 すると、眉間尺は何を思ったか、剣をもって自らの首を切り、刺客に与えた。 刺客はその首を持ち帰り、王に奉った。 王は喜んで褒美を与えた後、首を再び刺客に渡して、こう命じた。 「速やかにこれを煮て、形なきものにしてしまえ」 そこで大釜に放り込んで七日間ぐらぐら煮たが、首はまったく形を失わなかった。 刺客が、眉間尺の首がいっこうに煮崩れないと奏上したので、王は怪しく思ってみずから釜のところに行き、中を覗き込んだ。 と突然、王の首が胴を離れて、釜の中に落下した。 眉間尺と王と、二つの首は、釜の中で猛然と噛み合って戦った。刺客はそれを見て、なんてことだ! と驚いたが、とにかく眉間尺の首のほうを弱らせようと、例の剣を釜の中に投げ込んだ。 剣の霊力で、二つの首は急に煮え爛れた。その様子を覗いて見ているうちに、刺客の首もまた自然に落ちて釜に入った。 その結果、三つの首が交じり合って煮込まれ、どれが誰とも分からない状態になってしまった。それで、一つの墓を造って、三つの頭を一緒に葬った。 その墓は今もなお、宜春県というところにあると語り伝えている。 |
あやしい古典文学 No.429 |
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