森田盛昌『咄随筆』上「念は生を引」より

台所に来る幽霊

 元禄三年の春、岡嶋庄左衛門殿の若党で松村金六という者が疫病にかかった。重篤となり、乗物にのせて親元に帰したが、結局、療治もかなわずに死んだ。
 その晩の八時ごろ、岡嶋の屋敷の門を叩く者があった。門番が「誰か」と問うと、
「金六だ。気分がよくなったので、帰ってきた」
と言う。不思議に思いながらも、門を開けて中に入れた。
 しばらくして、また門を叩く者があり、
「金六がたった今、病死いたしました。親元より使いをもってお知らせ申します」
とのことだ。
 さては、さっきの者は金六ではない。
 いったい誰だろうと屋敷内を探したが、それらしい者は見つからなかった。『幽霊が来たのだ』と、みな驚くばかりだ。
 それからというもの毎夜、人が静まると金六が台所に来るので、人々はたいそう恐れた。

 屋敷に八助という、腕力もそこそこあって大胆な性質の下男がいた。
「本当の幽霊であれ狐狸が化かすのであれ、毎晩来るとは憎いやつ。退治してやろう」
と、台所に一人で臥して待ち構えた。
 夜半過ぎ、思ったとおり金六の姿をしたものが出てきた。八助はいきなり飛びかかった。上になったり下になったりして組み合ううち、屋敷内の者がそれぞれ燈火を手にして駆けつけたが、そのときには金六の形はかき消えていた。
 その後も、八助が引っ組んで取って押さえると手の下をくぐって消え失せ、また、あるときは長押(なげし)の上にいて、形は見えても手に捕らえることができない。
 十日ほど毎夜このようにしたあげく、八助は精根尽きて寝込んでしまった。そして、夜になると台所に行く者は全くいなくなった。

 なおも幽霊は毎夜来ていたが、三月十七日に大火事があって、岡嶋の屋敷も焼失した。
 それ以来、幽霊が来ることはなくなった。
 おそらくは狐狸か獺(かわうそ)などの仕業だったのだろう。
あやしい古典文学 No.430