岡村良通『寓意草』上巻より

河童 二題

 水の中に棲む河童という妖怪がいる。馬や人をとって喰う。よく人語をあやつって、人をたぶらかすものである。

 豊前の国に、川幅は百メートルばかりもありながら、歩いて渡れる川がある。そこを夜渡れば、必ず河童が出て、
「相撲をとろう」
と言って引き止める。てっきり子供だと思って相手になったらさいご、水中に引き入れられ、喰われてしまうのだそうだ。
 小笠原信濃守の家臣に大塚庄右衛門という人がいた。この人が従兄弟の瀬川藤助と連れ立って、その川を渡ったときのこと。
「相撲をとろうよ」
 こう言って藤介の袖を引きとどめたものを、返事もせずに抜き打ちにした。手ごたえがあったが、水の中にさっと入って姿を消した。
 翌朝、二人でまた行ってみると、三百メートルあまり川下の柳の根に死骸が引っかかっていた。十歳に届かないくらいの子供の姿をしていて、髪の毛は十五センチばかり。顔つきは猿に似ていたが色白で、爪が猫のそれのように鋭かった。

 また、庄右衛門の屋敷の下男で力自慢の者が、やはり川を渡るときに引き止められて、相撲をとった。
 河童は、力は強くなかったが、蝶の飛ぶように素早くて捕らえられず、やっとのことでつかまえても、皮膚が鰻みたいにぬめって擦り抜けてしまう。難渋するうち、顔も腹も腕も針の先で引っかいたように裂かれて、そのあと七日ほど病みついた。
 たいそう生臭かったという。



 武蔵の川越のあたりに、荒川の支流で「ひくまた」という小さな川がある。この川にも河童がいて、馬や人をとった。
 近くに「ほうとう院」という寺がある。十五六の少年が寺の馬を洗おうと、裸馬に自分も裸体で打ち乗って川に走り込んだとたん、馬がのっと立ち暴れて、そのまま水から躍り出た。少年は落馬して気絶した。
 馬は厩に駆け戻った。寺の下男たちが、
「馬だけ帰ってきたぞ。なんであんなに喘ぐのか」
などと見ていると、十歳ばかりの子供の形をしたものが手綱に絡んでいて、馬はそれを隅のほうへ蹴飛ばした。
 捕らえてみれば河童であった。すでにさんざん踏まれて苦しんでいるのを引き出して、
「いつも川で害をなすのは、こいつだ。焼き殺せ」
と薪を積み上げ、皆が集まって火をつけた。
 河童は涙を流し、手を合わせて拝んでいた。和尚がそれを見て、あんまり可哀想だから助けてやろうと、人々に命乞いした。そして、
「わが弟子にしよう」
と衣を一度うち着せ、また引きのけてから、
「今後はけっして人をとるな。馬を傷つけるなよ」
と言うと、河童はひれ伏して泣いた。
 人々もさすがに哀れに思って、川ばたまで連れて行って放してやると、泣く泣く水に帰っていった。

 翌朝、礼のつもりなのだろう、和尚の寝床の枕辺に、鮒がふたつ置かれていた。
 この後、川で人馬が襲われることはなくなった。
あやしい古典文学 No.439