岡村良通『寓意草』上巻より

河童に喰われる

 護国寺の前の町を音羽という。東側の山は木立が生い茂って、安藤対馬守の屋敷となっている。屋敷を囲む垣根に沿って細い溝川があるが、流れはやっと足の甲が隠れるくらいの浅さだ。
 溝川の小さな石の下には、鰍(かじか)という魚がいる。その魚を釘で刺して獲るのが、界隈の子供らの日ごろの遊びであった。

 ある日、六七人が連れ立って川へ行った。中に十四歳と十二歳の兄弟がいて、同じ場所で鰍を刺していたが、突然姿が見えなくなった。
 驚いた仲間の子供らが、走り帰って兄弟の親に知らせたので、親たちは現場に飛んでいった。周辺の人たちもおいおい駆けつけて、それぞれにあたりを見回した。
 だが、二人の姿はどこにもない。彼らの脱ぎ捨てた二足の藁ぐつがあるばかりだった。
 よく調べると、垣根の下に一箇所、十五センチばかりの大きさの穴があいていた。『もしやここに陥ったのでは……』と思って、竿で中を突いてみると、思いのほか深く、竿はどこまでも入っていく。
 『それならば……』と、川水をせき止めたうえで穴の水をかき出し、さらに穴の入口を掘り崩しなどしたが、水は中からさかんに湧き出て尽きそうになかった。
 それでもなお、しきりに汲み出していると、二人の亡骸が浮かび上がってきた。二人とも肛門のあたりをひどく破られて、内臓が丸ごとなくなっていた。

 穴は、石を詰め込んで埋めたそうだ。
 これも例によって、河童の仕業であろう。
あやしい古典文学 No.441