井原西鶴『西鶴諸国ばなし』巻二「姿の飛のり物」より

空飛ぶ女駕籠

 寛永二年の冬の初めのこと。
 摂津の国池田の里の東、呉服(くれは)の宮山の衣掛松の下に、だれが放置したのか真新しい女駕籠があるのを、柴刈の子供が見つけた。

 子供の知らせで町の人々が大勢で見に行き、駕籠の戸を開けると、年のころは二十二、三の都会風の上品な女が乗っていた。
 美人とはこんな女のことを言うのだろう。乱した黒髪の先を金の平元結で結び、白い肌着の上に菊と桐の模様を一面に散らした小袖を重ね、帯は小蔓模様の唐織、練絹の薄物をまとっていた。
 女の前には、秋の野を描いた時代蒔絵の硯箱が置かれ、中にさまざまな菓子が盛られていた。その傍らには、剃刀が一本見えていた。
「あなた様は、いったいどこのお方ですか。どうしてこんな所にいらっしゃるのですか。事情をお話しください。、国許に送り返して差し上げましょう」
 このようにいろいろ尋ねたけれども、女は黙って俯いているばかりだった。その目つきがなんとなく恐ろしいのに気づいて、人々は我先にと逃げ去った。
 皆は家に帰ったものの、やはり気になった。
「今夜あのままにしておいたら、狼の餌食になるかもしれない。あの駕籠を村に下ろして、とにかく一晩は見守って、朝になったら代官所に届けるのがよかろう」
 こう話し合って再び山に登ってみると、そこにはもう、女駕籠の姿も形もなかった。

 駕籠は、およそ四キロ南の瀬川という宿場の砂浜に移動していた。
 やがて日が暮れて、松を吹き渡る風がもの凄く、往来の人影も絶えた。
 そんな時刻、土地の馬方四五人が、駕籠の女のところに忍んで行った。しばらくはそれとない浮世話をしたすえに、
「お情けをいただきたい」
と迫ったが、女は取り合わなかった。
 こうなると荒くれ者だ。むりやり手篭めにしようと襲いかかると、女の左右から蛇の頭が出て、男どもに喰いついた。
 噛まれた傷が並大抵でない。みな目が眩み、気を失い、不思議に命は助かったが、その年いっぱいは難病の容態で苦しんだ。

 その後、駕籠はまた移動した。
 芥川というところにあったというし、松尾大社の社前で見たともいう。その次の日は丹波の山近くに行き、一時も居場所が定まらなかった。
 後には乗っている女もきれいな童女に変わり、かと思うと八十歳を越す老人となり、顔が二つになり、目鼻のない姥となり、見る人ごとに姿がちがっていた。
 人々はこれを恐れ、夜になると村々の往来が絶えて、大いに世間の妨げとなった。
 このことを知らない旅人が夜道を行くと、不意に駕籠の棒が肩に乗って離れなくなり、奇怪な思いをした。駕籠は少しも重くないのだが、およそ百メートルも行くと急に疲れが出て、容易に足も立たなくなり、難儀するのだった。

 「久我畷(くがなわて)の飛乗物」と言い伝えられたのは、これである。
 慶安年間までは現れたが、いつしか絶えた。「橋本・狐川の渡し場に見慣れぬ火の玉が出た」といった里人の話に、その名残があるかもしれない。
あやしい古典文学 No.443