森田盛昌『咄随筆』中「鰯売の大力」より

泣く泣く自害

 金沢の北六枚町に、家名は宝嶋屋、通称を大黒与三兵衛という者がいた。魚売りを稼業としていたが、気性の荒い下品な男で、そのうえ大力であったため、宮腰・粟ヶ崎などの河岸で無理乱暴を押しとおした。
 また金沢の町を行くときにも、たとえば通りすがりの奉公人に魚のざるが当たって、
「おいおい、気をつけろ」
と文句を言われると、まずは、
「ごもっともで。どうも御免くださりませ」
と謝る。それで相手が許して行こうとすると、そうはさせない。
「わしは詫びたではないか。こちらばかりがざるを当てたわけではない。おまえもぶつかってきた。詫び言をせねば済まさぬ」
 こう言って馬鹿力で押さえ込むので、相手はどうしようもない。結局、近所の町人たちが出てきて詫び言し、やっと収めるといった次第がたびたびであった。
 わが母親にも無理非道にふるまうばかりだったので、母親もほとほと持て余し、住んでいた嶋田町の家を弟に譲ってその扶養を受けることにした。与三兵衛は、別に北六枚町に家を求めて一人住まいをした。
 このような者だったから、人々は面倒な関わりあいを避け、たいがいのことは見て見ぬふりで通していた。

 享保十一年六月、伝馬町の藤田伝春方へ、伝春の妻の兄で馬渕豊蔵という足軽が、自分の病気の療治について相談するために訪問した。
 あいにく伝春が留守だったので、帰ってくるまで待っていたところに、例の与三兵衛がごまめを売りながらやって来た。
 伝春の下女が、与三兵衛を呼び入れてごまめを購った。鍋に入れさせたのを洗おうと流しに持っていって見ると、ひどく古くていたんでいた。
 下女はごまめを鍋ごと持って戻り、
「こんな古いのはいらないよ」
と言って、ざるに移し返した。
 与三兵衛はかんかんに怒った。
「古いのは先に見て知れていたこと。この炎天に生魚をあっちへこっちへと移されてはたまらん」
 下女の手をむずと掴むと、そのまま乱暴に突き放したので、下女はあえなくひっくり返った。
 馬渕豊蔵が見かねて、
「おい、乱暴するな。憎いやつめ」
と、普通の町人相手のつもりで向かっていった。ところが与三兵衛は大力、かたや馬渕は病人。あっけなく押し伏せられて身動きもならず、近所の者の仲裁てやっと解放された。
 与三兵衛はざるを肩にかけて出て行きざま、悪口の言いたい放題、馬渕は積もる憤りに堪えかね、刀を抜いて追いかけると、後ろから一太刀切りつけた。
「ややっ、切ったな」
 振り返った与三兵衛は、間近の古物棚にあった棒をとると、馬渕を一撃で打ち倒し、上にのしかかって、
「おのれ、喰い殺してやるぞ」
と噛みついて、鼻も口も喰いちぎった。
 さんざん噛まれながらも、馬渕は下から刀で与三兵衛を貫き、弱ったところを跳ね返すと、逆に馬乗りになって止めを刺した。

 死骸に腰掛けた馬渕、
「こんな下郎相手に死ぬことになるとは、さても無念、口惜しい」
と言う声も鼻声で、もはや顔の形もなく、泣く泣く自害してうち伏した。
あやしい古典文学 No.455