一無散人『東遊奇談』巻之二「椿の大木」より

椿の大木

 はるかな昔、上総の国と下総の国の境に、巨大な椿の木があった。その根元を廻るのに二時間かかると、両国の古図に記されている。
 枝葉は繁りに繁り、根もまた大いにはびこって、椿の木陰は南北四キロに及んた。その枝葉が上向きなほうを上総といい、下向きなほうを下総と名づけたとかいう。

 しかし、なにものの命にも限りがある。さしもの大木も、ついには枯れてしまった。
 そこで根を掘り返したところ、跡が大きな湖水となって、ひさしく上総・下総の間はここを船で通行した。
 やがて近年の開発により新田としてさかんに耕作され、民家もにぎやかに建ち並んだ。俗に椿新田と呼ばれている土地がそれである。

 ところで、かつて枯れて掘り捨てられた椿の木は、今もなお東海の沖を漂っている。海が嵐になるときには、この木が必ず海上に浮かび上がる。
 船人は、この木を見るのは怪異に遭遇する前兆だとして、たいそう恐れている。
あやしい古典文学 No.461