『諸国百物語』巻之三「江州、白井介三郎が娘の執心、大蛇になりし事」より

介三郎の娘

 近江の国の喜多郡栃生村、竜華峠というところに、高橋新五郎という富裕な百姓がいた。新五郎には、五歳になる男児がいた。
 その向かいの家は白井介三郎といって、これも劣らぬ百姓で、三歳になる娘を持っていた。
 新五郎と介三郎は親しく交際するあまり、互いの子をゆくゆくは夫婦にしようと話し合い、許婚の盃をさせた。
 その後、男児が十歳になったころ、新五郎がふとした病気がもとで死んでしまうと、高橋の家はだんだん衰えていった。それを見て介三郎は昔の約束をたがえ、娘が十五になったとき隣村の金持の百姓と縁組した。

 その夜が祝言という日、介三郎の娘の心は晴れなかった。
 『幼いころより向かいの男子と許婚でありながら、相手の身代が衰えたからといってよそへ縁づくのは、道に外れたことだ』と思って、下女に頼んで秘かに男子を呼び出し、
「あなたさまとわたしは、幼いときに互いの親の計らいで夫婦の約束をいたしましたのに、父が今、わたしをほかの男と結婚させようとするのは、とても悲しく情けない。祝言も今宵に迫りました。どうかわたしを連れて逃げてください」
 涙ながらに頼むのを聞いて、男子が、
「そのお気持ちはうれしいが、私はこのように落ちぶれた身ゆえ、どうにもなりません。決して恨みに思いませんから、どうかよい相手と結婚なさってください」
と応えると、娘は、
「それならば、やむをえません」
と、直ちに自害しようとした。
 男子は驚いて押しとどめた。
「それほどに思っておいでなのか。ならば、どこへでもお連れしよう」
 二人はそのまま、夜にまぎれて駆け落ちした。

 駆け落ちはしたものの、頼っていくあてはどこにもなかった。とある場所で足を止めて、途方に暮れていたが、そのとき娘が言うには、
「この世で添い遂げることは、やっぱり叶わないのでしょう。ここの淵に身を投げて、とこしえの来世に同じ蓮の台にて連れ添いましょう」
 男子もこれに頷き、二人手を組んで飛び込んで、あわれ水底の藻屑となろうした。
 ところが、どうしたことだろう、男子は木の枝に引っかかって水に落ちず、そのうち道を行く人に発見されて、救い上げられた。
 男子は、
「私が思いがけず木の枝に留まって助かったのは、天の与えたもうた寿命がいまだ尽きないからだろう。こうなった上は剃髪して出家し、あの娘の菩提を弔おう」
と思いつつ、すごすごとわが家に帰っていった。

 それからしばらくして、男子の母が、宿願のことがあって石山の観音に参詣した。
 その帰り道、瀬田川の橋のたもとで、十四五歳の娘がさめざめと泣いているのに出会った。近寄ってわけを尋ねると、
「わたしはこの北の村の者ですが、継母の仕打ちの酷さに堪えかね、家を出てきました。ここで身を投げて死のうと思うのです」
と言う。母はあまりの不憫さに、
「お待ちなさい。さいわいなことに、私には年ごろの息子がいるのです。その子と夫婦にしてあげましょう」
と宥めたところ、娘は喜んだ。
「万事おまかせします。よろしくお願い申します」
と言うので、母も喜び、これはひとえに観音様のお引き合わせだと、娘を連れて帰って男子と夫婦にした。
 この妻を得て、男子の悲しみもしだいに癒えた。夫婦の仲はむつまじく、やがて男児が生まれた。

 その子が三歳になったある日のこと、夫は所用で外出し、妻は部屋で昼寝をしていた。
 子が母の部屋に入って、たちまち「わっ」と泣いて駆け出してきた。それから気を取り直したか、再び母の部屋に入って、またも「わっ」と泣いて駆け出てくる。これが三度に及んだ。
 夫が帰り、この有様を見て部屋に行ってみると、妻は身の丈三メートルあまりの大蛇の姿で熟睡していた。
 夫が恐る恐る呼び起こすと、元の女の姿になって目覚めた。そして夫に向かい、
「今日まで深く隠してまいりましたが、まことのわが姿を見られてしまい、恥ずかしくてなりません。わたしは、あの介三郎の娘なのです。あなたさまに添いたい執心は、死んでも晴れませんでした。それゆえ女の姿になって世にあらわれ、この年月を親しく共にしたのでございます。お名残惜しいけれど、今はもう、これまでです」
と言うや、かき消すように消え失せた。

 その後、子が母のことをしきりに尋ねて恋しがるので、夫も悲しさに堪えず、かつての淵に連れて行って、
「この子が、あんまりお前を恋しがるのだ。もう一度、姿を見せておくれ」
と頼んだ。
 すると、淵の中から女が現れ出た。そして子供を抱き取ると、しばらくのあいだ乳を飲ませてから、暇乞いをしてまた水の中に入った。

 子はなおも、たびたび母を恋しがった。
 それでまた淵へ行き、女を呼ぶと、このたびは大蛇の姿で現れ出て、真っ赤な舌をひらめかせ、ひとしきり子を呑もうとしてから水中に去った。
 このことがあってから、子はふっつりと母のことを言わなくなった。
 夫は、そんなわが子を見るにつけてもなおさら悲しく、やがて父子もろともに淵に身を投げて死んだ。
あやしい古典文学 No.465