橘南谿『西遊記』続編巻之一「オガ島」より

オガ島

 某年の夏、熊野の二木島というところに伊豆の青ヶ島の人が漂着して、その中の出来次郎という若者が病気であったので、私の知人の喜多氏が療治にあたった。
 私はその年の冬に熊野に赴いたのだが、喜多氏は、久しく出来次郎の往診に通っていろいろな物語を聞いたといって、逗留中の私に話してくれた。

 青ヶ島のことを、島民はオガ島という。伊豆の八丈島よりはるかに南にある小島で、もと人が多く住んでいたが、十三年前に島の火山が大噴火し、島じゅう火に包まれて人畜ことごとく焼け死んだ。
 そんな中で、裕福な百姓で船を持っていた者が家族十余人で海に逃れ、なんとか八丈島に渡ってその後の年月を暮らしてきた。
 しかし青ヶ島が近年、火が消えて無事になったと聞くと、故郷がなつかしく、八丈島に別れを告げて、またもとの船に家族の男女みな乗り込み、家財道具から農具まで取り揃えて、青ヶ島に戻ろうとした。
 その航海の途中、嵐に遭って吹き流され、熊野浦に漂着したのであった。
 出来次郎はその百姓一家の嫡子である。珍しい名だ。ほかに一家は、八丈島で生まれた幼少の童子も連れていたという。

 それにしても、全島焼け果てた跡へ、年経てただ一家だけで帰っても、いったい何をして生計を立て、また何を楽しみとして暮らすのであろうか。
 いかに故郷が恋しいからといって、数百里離れた沖の小島で、人もなく牛馬もいないのに、わが一家だけで帰って住みたく思うのは、よその者には理解できないことだ。そのうえ、いつまた噴火するともわからないのにと思うにつけても、しみじみと感じられるのは人の心である。

 後日聞いた話だが、土佐や薩摩あたりの人が南海に吹き流され、年を経てようやく船を得て国に帰る途中、かの青ヶ島の近くを通りかかったところ、島には九人、これも他国から吹き流されて船が砕け、帰れなくなって留まっていた人がいたので、助け乗せて帰ったのだそうだ。
 これから推察しても、めったに船の往来さえない遠い島なのだと思われる。
あやしい古典文学 No.472