一無散人『東遊奇談』巻之五「婦女罵雷」より

婦女 雷を罵る

 伊勢の国の田丸の奥、熊野路にかかろうとする山中に、百姓の夫婦とその娘が住んでいた。
 娘はもう二十歳に近かったが、顔立ち美しく心も利発で、父母によく仕え、夫を迎えるようすすめても、
「父母存生のうちは、婿取りなど無用に願います」
と断るのだった。
 そうして一家三人、むつまじく暮らしていた。

 ある年の夏、父親が野に出て、畑に水を遣り土を耕しなどしているとき、にわかに空がかき曇って稲妻走り、激しく雷鳴した。ついには父親に落雷してその命を奪った。
 妻と娘は身悶えして嘆き悲しんだが、命が戻るものでもない。それより母娘は、熊野への道筋の木賃宿に身を寄せて、極貧の暮らしを続けた。

 ある日また、大いに夕立して雷鳴が轟きわたった。
 宿にいた人々は耳をふさぎ臍をかかえ、あるいは蚊帳を吊ったり押し入れにもぐったりして驚き騒いだが、かの老女と娘は門に出て、空を睨み大声を張り上げて怒り罵っていた。
 人々がいぶかしく思い、
「こんな嵐の凄まじさを、女の身で少しも驚かないとは……。いったいどういうわけなのか」
と尋ねると、両人は涙を流した。
「わたしにとっては夫、娘にとっては父親が、この雷めのために命を落としたのです。こんな悲しいことがありましょうや。ゆえに雷が鳴るたび我らは待ちうけて、もしもこの場に落ちたらば直ちに駆け寄り打ち殺し、恨みを晴らそうと、かねてより心がけているのでございます」

 まったく老女の貞節といい娘の孝心といい、言い表しようもないものだと、聞いた人々はみな感涙に濡れた袖を絞ったのである。
あやしい古典文学 No.474