『佐渡怪談藻塩草』「宿根木村臼負婆々の事」より

臼負婆々

 丸田金左衛門という人が、佐渡の宿根木浦の目付をつとめていたときのことだ。
 同所の海岸に「アカエの京」というところがある。その名のとおりアカエが多く集まるので、金左衛門は釣りといえば、いつもそこに行っていた。

 夏のある日、土地の者二人を伴って釣りに出かけた。竿を下ろして、いつものように次々とアカエを釣り上げていたのだが、どうしたわけか、急に一尾も上がらなくなった。
 不思議に思っていると、しとしと雨が降りだした。しかし風はない。あたりいちめん朦朧とした気配になった。時はまだ四時を過ぎた頃である。
 そのまま釣糸を垂れていると、海の底のほうから何やら白っぽい人の形をしたものが、泳いで浮かび上がってくるのが目に入った。
 思わず後ずさりし、連れの者に、
「おい、あれを見ろ」
と声をかけると、その者たちは、
「まあ、黙ってご覧なさい」
と言う。

 そのものは辺りを泳ぎめぐり、やがて海面に出たのを見れば、色の白けた極老の姥(うば)であった。
 背中に両手をまわして、何か背負っている。目つきが鋭く恐ろしい。白髪が萱を乱したようで、口の脇に牙のようなものが見える。たいそう不気味な顔で人々を睨め回すと、また頭から水に潜った。
 潜るときも、背中のものはそのまま負っていった。最後にいやに白い足の裏を見せて、沈んでしまった。あとはさわさわ波跡が立つばかり。

 金左衛門は、気味が悪いので釣りを切り上げ、帰途についた。
 道すがら、
「あれは妖怪なのか」
と尋ねると、連れの者は、
「いや、あれは当地で『臼負婆々(うすおいばば)』と呼びならわしているもので、二三年か四五年に一度くらい出てきます。ここらでは見たことのある者が多くおりますから、丸田様もあまり怪しまれませんように」
と話した。
あやしい古典文学 No.485