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『因幡怪談集』「用ヶ瀬藤太郎明神の事」より |
藤太郎明神 |
因幡街道用瀬(もちがせ)宿のはずれに、古用瀬村というところがある。岡崎兵太郎という人が、そこに居を構えて暮らすようになった。 古用瀬村には、藤太郎大明神という神社があった。小社ながらも立派に鳥居など建て、村人たちにあがめ祀られていた。 兵太郎がその神名を不審に思い、村人にいわれを尋ねると、一人の古老が、 「この神様は、もともとは犬なのです」 と言って、こんな話をした。 二三十年も前のこと、ここの山の奥にちょっとした平地があって、村人たちが牛馬の飼所にしていた。 朝に連れて行って放し、日暮れにまた家に引いて帰るのだが、あるとき、日暮れ時分に行くと、七八歳くらいの子供が大勢集まって踊っていた。近在に見馴れぬ子供たちなので、みな不審に思いながら牛馬を連れて帰った。 それからというもの毎夕、子供たちが現れて遊び戯れるようになった。その様子は言いようもないほど楽しげで、拍子とり、よい声で歌うのをよく聞けば、 「藤太郎ござらねば面白し面白し」 と歌っている。 村人はこの不思議について、いろいろに言い合った。 「子供はおそらく狸だろう。山のわきのほうに大きな穴があって、狸が多く隠れ棲んでいる。あいつらが子供に化けて踊っているのだよ」 「では『藤太郎ござらねば面白し面白し』とは、何のことかな」 「うむ、それは川向こうの佐治谷村にいる犬のことだろう」 「ならば、その犬を借りてきて、狸を獲らせてみようではないか」 若者らは、それは面白いと勇み立った。 さっそく佐治谷の犬の飼い主を訪ねて掛け合うと、飼い主は、 「よろしい。貸しましょう」 と承諾して犬を連れてきたが、 「この犬は逸物で、どんな獣であれ獲らないということはない。しかしながら、たくさん獲らせたければ、その数だけ握り飯を与えないといけません」 と付け加えた。 犬は黒ぶちで、四五歳ばかりの中犬だった。若者らは、 「その旨、心得ました」 と受け合って綱をかけて連れ帰り、他の村人に話すと、みな喜んだ。 そして、握り飯を二三十ばかり用意して大勢集まり、藤太郎犬を引いて山に行った。 かの穴に至って犬を中に入れると、たちまち狸を一匹くわえて出てきた。 そこで握り飯を一つ食わせて、再度穴に入れると、今度もすぐに一匹くわえて出てきた。 また握り飯を食わせて入れると、またくわえて出る。それを繰り返すうち、三十ばかり狸を獲って握り飯がなくなった。 また二三十個用意して穴に入れたが、これもそのうち与えつくした。 「きりがないな。どうしたものか」 と相談するうちに、犬はまた一匹くわえて出て、そこで精根尽きたのか、倒れて息絶えた。 それまで村人たちは面白がって見物していたが、狸五六十匹も獲ったあげく死んだというのはあまりに不憫だ。いろいろ手当てを施しても、犬は生き返らなかった。 やむをえず飼い主にわけを話して詫び、それだけでは気がすまず、塚を築いて犬を埋葬した。その後、小社を建てて神として祀ったのである。 不思議なことに、その後このあたりでは狸を一匹も見かけなくなったという。 これは兵太郎が物語った話である。 また、藤太郎の塚には大きな柿の木が一本あって、藤太郎柿と呼ばれ、たいそう美味いそうだ。 |
あやしい古典文学 No.494 |
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