『今昔物語集』巻第二十七「播磨国印南野にして野猪を殺す語」より

野猪を殺す

 その昔、西国から飛脚として京に上る男がいた。ただ一人で道を急いで播磨の国の印南野(いなみの)というところまで来たが、そこで日が暮れた。
 泊まれそうなところはないかと周囲を見渡しても、人里離れた野原のただ中だ。わずかに田の番のための仮小屋があるのを見つけて、『しかたがない。今夜はここで夜を明かそう』と思い、入り込んで腰を下ろした。
 この男は、なかなか勇気ある者であった。いたって軽装で、ひと振りの刀を腰に帯びているばかりだった。
 このような人の住まない場所では、何が起こるか知れたものではない。夜であっても着物など脱がず、眠らず、物音も立てないように気をつけていた。

 夜が更けてきた。
 かすかに西の方から、鉦鼓を叩き、念仏して、大勢の人がやって来る音が聞こえる。
 男があやしく思って音のする方を見やると、たしかに多くの人が、松明を連ねてこちらに向かって来るようだ。僧たちが鉦鼓を叩いて念仏を唱え、それに連なって多数の人が歩いてくる。
 次第に近づいたのを見れば、なんと葬式だったのだ。それが男がいる小屋のほんの近くまで寄ってくるので、なんとも薄気味悪い。
 行列は小屋から二三十メートルほどのところまで死人の棺を運んできて、葬送が執り行われた。男はいよいよ息をひそめて、身動きせずにいた。もし人に見つかって咎められたら、ありのままに『西国から上る者で、日が暮れたのでこの小屋に泊まりました』とわけを話そうと思った。その一方で、『葬送するのなら、前もって準備があるから分かるはずなのに、明るいうちに見た限りでは、そんな様子はどこにもなかった。これはおかしいぞ』と疑っていた。
 そうするうちにも、人々が立ち並んで死者を葬り終わった。続いて鋤や鍬を持った下人たちが数知れず出てきて慌ただしく墓を築き、土盛りの上に卒塔婆を立てた。墓を作り終えると、行列の人々は帰っていった。

 一部始終を見た男は、頭の毛が太るほどの恐怖で身を固くしていた。『早く夜が明ければよいのに』と待ち遠しく思いつつ、怖ろしさで目を離せないままに、墓のほうを見つめたままだった。
 どうやら墓の上の部分がかすかに動くようだ。錯覚かと思ってよく見たが、確かに動いている。
 『どうして動いたりするんだ。奇っ怪な……』と目を疑うとき、動くところからむくむくと出てくるものがあった。人の形をした裸のものが土から這い出た。腕や胴に燐火の燃えるのを吹き払いつつ立ち走り、男のいる小屋に向かってくる。
 暗いので何ものとも分からないが、おそろしく大きく見える。男が思うには、『葬送の場所には必ず鬼が現れるという。その鬼が我を襲って喰らおうとするのだ。もうおしまいだ』。しかし、『同じ死ぬにも死にようがあるぞ。この小屋は狭いから、入って来られては太刀うちできない。ここを出て鬼に突き進み、いちかばちか切りかかろう』と思い直した。
 男は刀を抜くと、小屋から躍り出て鬼に走り向かい、ざっくりと切りつけた。鬼は切られて、真っ逆さまにぶっ倒れた。

 そのまま男は、人里が近いと思われる方角に一目散に逃げた。どこまでも逃げに逃げて、やっと人里に走り込んだ。とある人家に近寄り、門の傍らにしゃがみこんで、不安に打ち震えながら夜明けを待った。
 朝が来て後、男が里の人々に、
「しかじかのことがあって、命からがら逃げてきた」
などと語ると、人々は不思議がって、
「よし、行ってみよう」
ということになり、男は勇み立つ若者たちを連れて昨夜の場所に戻った。
 真夜中に葬送のあったはずの場所には、墓も卒塔婆もなかった。火の散った痕跡もなかった。そのかわり、大きな野猪(くさいなぎ)が切り殺されて転がっていた。まことに限りなく怪奇なことであった。

 これはおそらく野猪が、男が小屋に泊まろうとするのを見て、脅してやろうと思いついたことだろう。『益体もないことをして命を落としたものだ』と、ひとしきり噂になったそうだ。
 こんなことがあるから、人里離れた野中などに少人数で泊まったりしてはならない。
 これは、男が京に上って後に語ったのを、人々が語り伝えた話である。
あやしい古典文学 No.500