根岸鎮衛『耳袋』巻の二「蛇を養ひし人の事」より

昇天@江戸

 江戸の山王永田馬場あたりでのこと、あるいは赤坂芝ともいって、場所ははっきりしない。
 御三卿方を勤める清左衛門という人が、どういう委細があってか小蛇を飼っていた。夫婦とも寵愛し、箱に入れて縁の下において食事など与え、天明二年まで十一年間養った。

 蛇はだんだんに成長し、しまいには見るも凄まじいまでに大きくなった。しかし夫婦とも変わらぬ愛情を注ぎ、朝夕の食事のときは、床を叩くと縁の上に頭を上げるので、自らの箸でもって食物を与えた。
 召使いの男女も、はじめは恐れおののいたが、馴れるにしたがって怖がらなくなり、縁遠い女子などが、
「この蛇にお願いするとよい」
と主人夫婦の言うにまかせて、食物など与えて祈念すると、まことに願いが叶ったこともあったそうだ。

 ところが、天明二年三月の大嵐のときのことである。
 その朝もいつもどおり呼び出して食事を与えようとすると、蛇は縁の上にあがって何かひどく苦しむ様子だった。心配した夫婦が介抱していたところ、にわかに空に黒雲が起こり、激しい雨降りとなった。
 蛇は縁の端でうなだれていたが、やがて頭を上げて空を眺めた。庭先に雲が下りてきたと見るや、縁から一身をのばし、いちだんと降りしきる雨のなか、そのまま天に昇った。
あやしい古典文学 No.502