一無散人『東遊奇談』巻之五「六百歳の男」より

六百歳の男

 尿前(しとまえ)の関から十里あまりのところに、瀬見の湯という温泉がある。そのあたりの山の頂には、北陸道から奥州に通う古道がある。
 昔、平泉に逃れようとする源義経主従がここを通ったとき、義経の奥方が産気づいた。やむをえず近くの小屋に身を忍ばせ、その家の夫婦に頼んでお産の介抱をしたと伝えられる。

 小屋の夫婦のうちの男のほうは、最近まで存命していた。昔のことを尋ねると、おおかたは忘れ果てていたが、
「義経とかいう、一行の中で大将とおぼしい人は、色黒で骨太の荒々しい武士じゃった。それが産婦の夫らしく見えた。また出家が一人いて、色白で美形の僧じゃったよ。背は高かったと思う。ほかの人々はみな同じようで、もう覚えとらん」
などと語った。出家というのは、まさしく弁慶であろう。
 この昔の男は、すでに六百歳にあまる年齢でありながら、外見は十歳くらいの童子に似ており、面相は猿のようで、「わろうだ」という藁で編んだ籠のようなものに入って家の中を這い歩いていたが、心は正直で確かな者だったという。
 国守から扶持をたまわって、そこまで長生きしていたのに、私が巡国の旅で訪れる少し前に死んでしまった。残念なことである。

 なお、ここで誕生した義経の子を家来の某が懐に入れて、
「この地はいまだ敵が追って来るかもしれません。秀衡の領地に足を入れるまでは、決して声を立てないでください」
と言うと、不思議なことに一つの泣き声も上げなかった。
 秀衡の領分に入って初めて声を立てて泣いたので、そこは今、「鳴子村」と呼ばれている。「泣子」が転じた名である。
 また、その子が初めて尿をしたところを「尿前」という。尿前の関守の家も、当時から続いているとのことだ。
あやしい古典文学 No.504