『南路志』巻三十六より

海犬

 内藤惣三郎が浦役人を務めていた時、さる浦での出来事だ。
 二月一日の夜、舟で沖に出て魚を釣っていると、にわかに波が立ち、船が危ないほどの荒れ模様となった。
 さらに奇怪なことに、船の舳先(へさき)のあたりを、何ものかが齧っているような音がする。
 慌てて浜に漕ぎ戻って、からくも遭難を免れた。
 翌日舟を調べると、舳先に幅五分ばかりの歯形がついていた。何の歯なのか知っている人はなかったが、ある古老によれば、
「海犬ではあるまいか」
とのことだった。

 また、瀬尾氏が次のように記録している。
「幡多郡の外浦か内浦か、場所は定かに覚えていないが、その浦の漁師が沖で漁をして夜分に帰る時のこと。海中から舟を引き留めるものがあって、にわかに行き悩んだ。漁師は怪しく思いつつ、さまざまに祈念して、ようやく舟は進み、浜に戻ることができた。
 翌朝楫(かじ)を改めてみると、歯の跡が六七ヵ所ついていた。そのうち二ヵ所に歯が折れて挟まっていたので、抜き取った。
 漁師が持ってきた歯を私も見たのだが、一つは一寸ばかり、もう一つは五分ばかりで、色はたいそう白かった。いったい何ものでしょうか、と漁師も不思議がっていた。」
あやしい古典文学 No.508