『宇治拾遺物語』巻第一「尼、地蔵見奉る事」より

地蔵に会いたい

 その昔、丹後の国に年老いた尼がいた。
「地蔵菩薩はいつも、夜明け方にお歩きになる」
という話を聞き、地蔵を拝みたいと思って、夜明けごとに外出してあてどなく歩き回っていた。

 そんな尼を、道端で暇をつぶしていた博打打ちが見て、
「尼さんよ、この寒いのに何をしているのかね」
と声をかけた。
「地蔵菩薩は夜明けにお歩きになるそうな。そのお姿に会いたくて、こうして歩いておりまする」
と尼が応えると、博打打ちはすかさず悪知恵をはたらかした。
「地蔵の歩く道なら、俺がよく知ってる。ついて来いよ。会わせてやろう」
「まあ、うれしいこと。ぜひ地蔵さまの歩かれる道に連れて行ってくだされ」
「何かお礼が貰いたいな。そうしたら、すぐ連れて行ってやる」
「私の着ている衣を差し上げましょう」
「よっしゃ。では行こう」
 博打打ちは尼を、隣の家に連れて行った。

 その家には「じぞう」という名の子供がいたのだった。博打打ちは親と知り合いだったので、
「じぞうはどうした?」
と尋ねると、親は、
「遊びに出たよ。もうじき戻るだろう」
と言う。そこで尼を振り返って、
「ほら、ここだよ、地蔵のいるところは」
 尼は喜んで、紬の着物を脱いで与えた。博打打ちはそれを受け取ると、急ぎ足で立ち去った。

 尼は、
「地蔵にお会いしたい」
と言ってその場に座って待っているのだが、親たちにはわけが分からない。
「なんでうちの餓鬼なんかに会いたいんだろう」
と訝しんでいるところに、十歳ばかりの子供が小枝をもてあそびながら家に入ってきた。
「ほら、じぞうだよ」
と親が言うと、尼は子供を見るやいなや我を忘れて、転げるように土間にひれ伏し、伏し拝んだ。
 そのとき子供は、何気なく小枝で額を掻いた。すると額から顔までびしびしと裂け、裂けた下から何ともいえずありがたい地蔵の顔が現れた。
 尼が拝みつつ仰ぎ見ると、まさしく地蔵菩薩がお立ちになっている。感涙に咽びながら拝みに拝んで、そのまま極楽往生を遂げた。

 このように心に深く念じていれば、仏も姿をお見せになる。そう信じるのがよい。
あやしい古典文学 No.510