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『斉諧俗談』巻之二「失帰妖」より |
失帰妖 |
『公卿補任』に記すところでは、武内宿禰(たけのうちのすくね)は孝元天皇五代の孫である。景行天皇の九年に生まれ、仁徳天皇の七十八年に没した。その間、六代の天皇に仕え、享年三百十二歳。終焉の地は定かでないが、ある人は、美濃国の不破の山に入って行方知れずとなったと説いている。東征の途次に軍中で没して、大和国葛下郡に葬られ、その墓を室墓と名づけたとの説もある。 道守臣東人(みちもりのしんあずまんど)は、齢百二十二歳にして、頭脳の明晰さは青年に劣らなかった。桓武天皇は、この者に衣服を下賜されたそうだ。 『五雑組』によれば、漢の竇公(とうこう)は百八十歳、晋の趙逸は二百歳、洛陽の李元爽は百三十六歳。また、穣成に二百四十歳の人がいて、この人は米穀を食せず、曾孫の妻の乳だけを飲んでいた。 范明友の奴婢には二百六歳の者がいた。梁の忠列王の友人の僧恵照は、元和年間に至ってもなお存命し、二百九十歳だったとのことだ。 その『五雑組』には、次のようにある。 「人はふつう百歳を超えて生きない。それが寿命というものだ。だから百二十歳を過ぎても死なないのは一種の化け物であって、これを『失帰の妖』という」 |
あやしい古典文学 No.512 |
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