『佐渡怪談藻塩草』「小川村の牛犀と戦う事」より

牛 vs.犀

 その昔、佐渡の小川村の裕福な百姓の家で、牛を四五頭飼っていた。
 ある夜、主人が牛小屋を見回ると、牡牛が一頭いなくなっていた。近くを探しても見当たらないので、『明日の朝、捜しに行こう』と決めて眠りについた。
 翌朝早く、とりあえず牛小屋に立ち寄ったら、問題の牛はいつもの場所に伏していた。
 『どこへ行っていたのかな』と訝しく思いつつも、そのままにしていたが、夜になって小屋に行ってみると、また同じ牛がいなくなっていた。

 そんなことが1ヵ月以上も続いたので、主人は日に日に不審がつのって、ある日ついに牛小屋の傍らに隠れ場所を作って潜み、牛は縄でしっかり繋いで、夜分を待った。
 すると、どのようにして縄を抜けたのか知らないが、牛は主人の目の前を悠々と歩き過ぎて、そのまま小屋を出て行った。主人はそれを、ずっと後ろから見え隠れに尾行した。
 牛は小川村の境を越え、海に面した草刈り道から海岸のほうへ下って、よしが尻というところの渚に至って立ち止まる。
 しばらくすると、にわかに波風がざわざわと立ち起こり、ざんぶと音するのを遠目に見れば、額に角一本ある牛のごとき獣が渚に駆け上がり、牛めがけて飛びかかったのだ。
 牛は『待っていた』とばかりに身構え、獣に頭を合わせて闘った。両者譲らず、数刻が過ぎても決着しない。その間、牛はひたすら自分の尻尾が邪魔な様子で、巻いたり延ばしたり苦心していた。
 互いに相手を角にかけようと争ううち、やがて明け方になると、一角の獣は海に飛び入り、牛ももと来た道を帰った。

 牛の後について道を戻りながら、主人は思った。『うちの牛は、尻尾が邪魔になって苦戦している』
 明くる日、刃物で尻尾を切ってやった。いかにも凛々しげになったので、『よし、今夜こそ我が牛の勝ちと決まった』と小躍りして、日が暮れるのが待ち遠しかった。
 夜になって、昨日と同じように牛の後について渚に行くと、やはり例の一角の獣が海から駆け上がって、牛に突きかかった。
 それからしばし、両者とも位置取りしつつ睨み合っていたが、一角の獣がさっと駆け寄るや、牛を角にかけ、十メートル以上も投げ飛ばした。
 牛は尖った岩に打ちつけられて立ち上がれず、大きく一声吼えて絶命した。その様子を見て、一角の獣は海に入り姿を消した。
 主人も、予想外の結果に呆れて頭を掻きながら、我が家へと帰っていったのだった。
あやしい古典文学 No.513