堀麦水『三州奇談』二ノ巻「泥亀怨念」より

泥亀の怨念

 泥町というところは、懸橋に続いて加賀小松城の外堀に面し、町の背後は六十間にわたる松並木で、常に風が蕭々と梢を吹き渡っている。
 その松並木を旗松という。かつて小松城が戦におよぶ際に、この松に必ず旗を結わえて擬兵の計略を用いたため、その名があるという。
 堀は泥深く、夏には杜若(かきつばた)などの水草が両岸に密生する。もとより湿気の多いところで、濁り水が澱み、蚊が多い。夏に蚊帳なしで夜話することはできない。
 この堀に、一匹の大スッポンが棲んでいる。
 時として浮かび出て、頭を伸ばし四方を見る。その首はまるで牛のようだ。また沈み隠れるとき、一片の波も立たず音もしない。 一年に必ず一二度は出てくるそうだ。
 まことに奇異の生き物であるが、そういえば、近ごろ大阪から商用に来て知り合った者が、こんなことを言った。

「スッポンが怪をなすという話を、疑ってはなりません。
 大阪でも京都でも、近年はスッポンを食うことが流行して、魚商の多くがスッポンを扱うようになりました。スッポン汁を専門に売って世を渡っている者も大勢います。そのため近国のスッポンを獲り尽くして、値が上がるままに、百里の遠方からさえ取り寄せるようになったのです。スッポンを扱う家では、これを大きな籠とか、穴蔵に入れて蓄えておきます。スッポンどもは、買おうという客が店近くに来ると、足音で殺気を知って、我先にと下に潜ります。この予知の百に一つも間違いがないのは不思議なことだと申します。
 何年か前のことです。大阪西堀の魚屋の亭主が、隠居して別宅に住まいしておりました。魚屋といっても、スッポンばかりを扱う店です。跡継ぎは家の娘に婿をとって、ひとり楽隠居の身でしたのに、その死にざまは恐ろしいものでした。ただただスッポンに似ておりました。別宅でひとり息絶えたのを娘も婿も知らず、朝方に立ち寄ったところ、裸になって縁の下に入り、手足で土を掘って、その中に腹這いになって死んでいるのを見つけたのです。話を聞いた近隣の者は、爪弾きして隠居がしてきた生業を憎んだのですが、娘や婿はそれに気づかないのか、あるいは渡世の悲しさか、いまだにスッポンを商っています。
 このことがあってから、私はスッポン汁を口にしなくなりました。この地に来ても必ず、『スッポンにかかわってはなりません』と言うようにしているのです。」
あやしい古典文学 No.517