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『因幡怪談集』「幽霊出て家主をたやせし事」より |
木に登る幽霊 |
天和年間のこと。 内丹後町材木蔵の近辺、お堀端の角に家臣何某の屋敷があった。 その屋敷に夜ごと幽霊が出るとの噂が広まり、見届けようと出かけていく若侍も多くいた。 しかし、誰一人として確かに見た者はいなかった。 日を経て噂の消えかかったころ、その屋敷の若党の部屋に、親しい友人が訪ねてきた。 夏の盛りゆえ戸を開けて涼みながら、あれこれ語り合った。月夜なので行灯も点さず、二人差し向かいで話して夜更けに及んだ。 客人がふと見ると、白帷子を着て乱れ髪の若い女が部屋の前を徘徊している。 『こんな夜中だから、ほかの者ではあるまい。当家の下女が何か用をするのだろう』と見ていたところ、女はその場にしばらく佇む様子だった。『さては、この男の情婦かもしれん』と思い直したが、それ以上不審を抱かなかった。 ところが、ずっと部屋の中を覗いている女に気づいた若党が、いきなり、 「また来たのか。そこを立ち去れ」 と声を荒げて叱った。 女は少し退いたようだが、立ち去る気配はない。しばらくしてまた覗き込み、そのうち部屋の上がり口まで入ってきた。 若党は大いに怒り、 「憎いやつめ!」 と、手近にあった木刀を掴むと、女の衣の裾あたりをしたたかに打ったが、女はさして驚く気色なく、すうっと外の庭に出ていった。若党もそれを追って外に出た。 やがて戻ってきた若党に、客人が、 「ずいぶんと乱暴だな。あれは狂人なのか」 と尋ねると、 「おまえは知らぬのか。あれはこの家に毎夜、夜更けになると出てくるものだ。あのようにおれたちの部屋にも、戸が開いていると入ってきて、床の上にまで上がる。叱ってもこたえず、まるで干した洗濯物のようなので、叩いても手応えがない。追うと風に吹かれるように立ち去る。おれたちも初めのころは気味悪く思ったが、今では慣れてなんともない。ただ毎夜のことで、ほうっておくと部屋に入り込んでしまうから、ああして追い払う。戸を閉めると入ってこないが、そのかわり窓から覗くのだ」 と言う。客人はぞっとした。 「では、あの者は幽霊か」 「そうだよ」 「幽霊というものを初めて見た」 すっかり興ざめし、急ぎ暇乞いしての帰りがけ、屋敷の角の木犀(もくせい)の大木を見上げると、さっきの幽霊が木に登っていた。いよいよ気味悪く、ひたすら我が家へと足を早めたのだった。 幽霊はその後も見かけられた。木犀の木に登り、小枝をふつふつと折って、いつしか小枝を全部折り尽くした。 木はついに枯れてしまった。とともに、幽霊も出なくなった。 まもなく屋敷の主人が死に失せ、子孫もことごとく絶えた。今、その家の血筋は残っていない。 この話は、そのときの客人であった老人が、 「ほんとうに不思議なことだった」 と、若い時分の筆者に語ってくれたものだ。 幽霊が出たのは、伊豆屋敷惣御門土橋の外、お堀端道の通り、角の屋敷である。 「木犀の木は、屋敷の角のところにあった。枯れたのも見た」 と、その老人は話したのである。 |
あやしい古典文学 No.519 |
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