『西播怪談実記』巻二「新宮村農夫天狗に抓まれし事」より

山からの声

 正徳年間のこと。
 播磨揖東郡新宮村の七兵衛という者が、山へ薪を伐りに行ったきり帰らなかった。
 親兄弟は深く嘆き悲しんだが、行方知れずのまま二年が過ぎた。

 ところがある夜、村の後ろの山から、
「七兵衛だ。今戻った。七兵衛が戻ってきたぞ!」
と大声で繰り返し呼ぶ声がした。
 肉親の者は、もとより聞き親しんだ声だったので、喜んで山へ走っていった。近所の者もこれを聞きつけて走った。
 その声は、山の麓へ着くまでは峰々にこだましていたが、山に登ってみると声は消え、七兵衛の姿はどこにもなかった。
「たしかにこの辺りだったが……」
 だんだんと集まる人も増えて、おのおの近辺をくまなく捜し歩いた。それでもついに見つからなかったので、仕方なく村に帰っていく道々、
「きっと天狗にさらわれて、手下にされたのだろう」
などと語り合った。

 後年、長く江戸にいて帰国した者が、旅中に興津の宿で七兵衛に出会い、言葉を交わしたという。
 では東国を徘徊しているのかと、親兄弟は、関東に下る人には必ず消息を尋ねてくれるよう頼んだが、それきり逢った者はなく、風の便りさえ絶え果てた。

 これは、七兵衛が一度だけ村の山に帰ってきたとき、皆とともに山へ探しに行った人が、年月を経て語った話を記したのである。
あやしい古典文学 No.520