『片仮名本・因果物語』上の九「夫死して、妻を取り殺す事 付 頸をしむる事」より

亡夫 妻を襲う

 摂州榎並、友淵村の善兵衛方の嫁は、中村の源兵衛の娘だった。
 夫は善兵衛の子息だったが、三十三歳で死んだ。そのとき嫁は十六歳だった。
 夫が死んで後、源兵衛は娘を実家へ呼び戻した。
 ところが、夫の亡魂が火と化して、蹴鞠のごとき形で地面から一尺ほどの高さを飛び走っては、夜ごと源兵衛の村近くまで来て消えた。
 源兵衛方に不穏な気配が漂い、娘の目には怪異のものが見えた。そのものがしきりに、娘の髪を抜くのだった。
「ああ、怖い。また来た」
と言って恐れ伏すのを、両親はどうにもしてやれなかった。
 とうとう髪の毛をみな抜き尽くして、ひと月ほどで娘をとり殺した。
 寛永十年の出来事である。



 江戸鷹匠町で、ある侍がふと患いつき、やがて末期に及んだ。
 臨終の床で妻に向かって、
「すまないが、わしが死んだら、おまえも髪を剃って、菩提を弔ってくれないか」
と頼んだ。
 妻が、
「わかりました。そうしますとも」
と請け合うと、そのまま死んだ。
 しかし妻は、いっこうに髪を剃らなかった。もともとそんな気はなかったのだ。
 翌日、夫の亡霊が来た。それを妻はわが目で見たが、とりたてて動揺しなかった。次の日もその次の日も来て、ちらちらと見えた。
 六日目に来たときは妻の首を絞めたので、さすがに、
「うっ、うっ」
と呻いて目を回し、気絶した。
 居合わせた妻の兄が、刀を抜いて切り払い、
「卑怯者め。それでも侍か」
とはずかしめたが効き目がない。きつく首を絞められて、次第しだいに弱っていく。
 そのとき妻の弟が、
「わかった。わかったから、もうよせ」
と、鋏を取り出し、姉の髪を残らず切り取った。
 侍の妻は危うく命を助かり、以来ずっと髪を剃っていたという。
 その朋輩衆の内儀が詳しく知っていて語った話で、慶安三年八月のことである。
あやしい古典文学 No.523