津村淙庵『譚海』巻之九より

隣家の母の痔が痛む

 出羽国仙北郡の男が、山で薪を伐って家へ帰る途中、夕立に遭って辻堂の軒で雨宿りした。
 ところが、辻堂の中からさかんに物音がし、あやしい声が聞こえてくる。
「太郎婆がまだ来ない」
「婆が来なくては始まらない」
「そうとも。こたびの踊りは出来かねる」
「太郎婆はどうした」
 しばらく騒いでいたが、
「おお、婆が来た」
「では踊りを始めよう」
 そのとき太郎婆とおぼしき者の声で、
「しばし待て。なにか人の気配がする」
 外の様子を探ろうというのだろう、堂の格子の穴から尻尾が出てきた。
 男がその尾を掴んで引っ張ると、慌てて内から引っ込めようとする。力まかせの引き合いとなって、尻尾が引き抜けた。
 抜けた尾を手にして、男ははじめて怖ろしくなり、雨の上がるのも待たず家に駆け帰ると、尾を厳重に隠しおいた。

 男の家の隣に、太郎平という者が住んでいた。その太郎平が、
「うちのおふくろは、急に痔が悪くなって、寝込んでしまったんだ」
と言うので、男が見舞いに行くと、なるほど、見るからに具合が悪そうだ。
「どうしたかね」
と尋ねると、
「痔が痛くて痛くて……」
と嘆いているが、どうも不審に思われる。そこで夕方、例の尻尾を懐に隠して、また見舞いに行った。
「相変わらずだよ」
と言う太郎平の母に、
「その痔の患いとは、これではないのかね」
と、尻尾を取り出して見せた。
 病人は顔色を変え、跳ね起きて尻尾をひったくるや、板戸を蹴破って外に走り失せた。

 猫が化けていたのである。
 まことの太郎平の母は、年月を経た白骨となって、天井裏で見つかった。
あやしい古典文学 No.525