『西播怪談実記』巻一「作用大市久保屋下女山伏と角力を取し事」より

相撲の山伏

 寛文年間のころ、播州作用郡作用村大市の久保屋弥三兵衛の家に、まつという下女がいた。
 ある日の夕方、もう薄暗くなった時分に、まつは倉屋敷というところの菜園に野菜を採りに行った。
 そこには古い榎の大木があったが、その木の陰からふと大男の山伏が現れて、
「おい、相撲をとろう」
と声をかけた。
「わたしは女ですから、相撲はとれません」
と断っても、
「いやいや、是非に」
と言って取りついてくるのを、とって投げたが、いっこうに手応えがない。
 山伏が起き上がってまた取りつくので、さらに力を入れて地面に打ちつけると、
「おまえは強いなあ。負けた負けた」
と言いながら、どこへともなく姿を消した。

 まつは、恐ろしさで気を失いそうになりながら走り帰った。
 家の者は驚いた。その顔色は真っ青で、ところどころ死人の色に変じている。
「どうした、何があった」
と口々に問うたが、菜園のほうを指差すばかりで、ものも言えない。
 いろいろ介抱されてだんだん落ち着き、やがて怪事のあらましを語ると、人々はたいそう不気味がった。
 まつは床に寝かされたが、ひどく発熱し、食事がまったくのどを通らず、翌日の夕暮れに死んだ。

 このことがあって、倉屋敷の辺りは夕暮れ前から人通りが絶えた。
 しかし、年を経るうち榎の大木も枯れ果て、いつとはなしに町家が建ち並んで、今では怪談だけが世に残っている。
あやしい古典文学 No.533