『西播怪談実記』巻二「姫路本町にて犬形変ずる事」より

姫路本町の怪犬

 寛永のころの話である。
 姫路の町なかを毎夜、白い小犬が徘徊して、あの家では何を盗られた、この家では何を食われたなどと、三四年のあいだ噂になった。
 この犬が土塀を跳び越え、屋根を伝い歩くのを目撃した人もいたそうだ。

 本町は蚊帳を商う家が多く、その仕立屋も多い。
 ある家で、みな集まって夜更けまで蚊帳を縫っていたところ、奥の間の障子を外からそっと開ける音がした。一人が『誰だろう』と思って覗くと、例の白犬だった。
「あっ、泥棒犬だ!」
と声を立て、その場の者は手に手にそこらの割木や火吹竹を掴んで追いかけた。
 犬の運が尽きたのだろうか、退きざまに下水溝に落ち込んで、這い上がろうとするところを袋叩きの末、ついに打ち殺した。
「夜のうちに三左衛門堀に棄てよう」
と相談し、死骸の首に縄をつけ、二三人で引きずっていって、堀の深みにざんぶと投げ入れた。

 犬を棄てた面々が、戻って煙草を一服していると、ほどなく縄をつけた白犬が、路をとことこ歩いてきた。よくよく見ればあの小犬だ。
 人々は驚きながらも、また打ち殺した。犬の口に魔を祓うという山椒を押し込んでから引きずってゆき、
「さっきは堀に投げ込んだので、水を飲んで蘇生したのだろう」
と、今度は堀端に放置しておいた。
 翌朝、大騒ぎになった。
「どでかい犬が死んで棄ててあるぞ」
 我も我もと見物に行く中に紛れて、犬を殺した者もそ知らぬ顔で行って見た。
 犬の死骸は、馬ほどの大きさになっていた。

 結局これは、どこの国の怪犬とも知れなかった。
「犬も長生きすると、おのずと通力を得ることがあるそうだ。この犬もその類ではないか。小犬に変身して徘徊していたが、死んで本来の姿に戻ったのではないか」
と説く人もいた。
 以上、当時実際に見た人が語ったあらましを書き記しておく。
あやしい古典文学 No.539