『因幡怪談集』「須知の家霊の事」より

菓子を貰う幽霊

 須知家の当主を養子が継ぐようになってから、怪事は止んだという。昔は昼間でも幽霊が出たとのことだ。

 鳥取藩主が池田光仲公だった時代の話である。
 ごく親しい四五人の武士が回り持ちで宿をし、咄会(はなしかい)を催していた。
 あるとき須知氏が宿の順番で、昼過ぎから集まって話をした。むろん亭主の須知氏も加わっていたのだが、何かの用事で席を外して台所のほうに行った。
 すると入れ違いに、勝手口から歳のころ十七くらいの美女が覗き込み、いつのまにかすうっと座敷に入り込んで、客の向かい側に立った。
 これを見ても友人たちは特に気にせず、『亭主の妾かな』などと思うくらいで、話を続けていた。
 女はじっと動かない。そこへ亭主が戻ってきて、ことのほか強い口調で叱った。
「またお出になったのか。早くお下がりくだされ」
 茶菓子に出してあった柿餅を一つ、女に手渡して、
「さあ、早く」
と促すと、返答はせぬまま、柿餅を持って台所に引き下がった。
 亭主は、
「いやはや、ご覧のとおりで、まことに面目ない次第。おそらくお聞き及びと思うが、あの女はほかでもない、先祖より代々この家を離れぬ、わが家の霊なのだ。その仔細を、今からお話し申そう」
と言って語り始めた。

「はるか昔、美濃の国に何某という領主がいたが、戦乱に明け暮れた時代のこと、あるとき敵の奇襲を受けて、兵少なくさんざんに敗れた。領主とその妻は討たれ、家来たちも散り散りになるなか、当時二歳だった領主の子は、乳母の懐中に抱かれて逃げ延びた。これがわが先祖だ。
 隣国近江のとある村まで辿り着いて、一軒の家に案内を請うと、家には夫婦二人だけが住んでいた。そこで乳母は頼み込んだ。
『この懐の子は、わが子ではありません。ご主人の御子です。思いがけないことがあって二親とも亡くなり、みなし子の可哀想な身の上となられました。こちらにはお子がなさそうにお見受けします。この子を、実子として養育してはいただけませんか』
 乳母が懐から出した男児を見れば、色白のよい面立ちの子だったから、夫婦は喜んで貰うことにした。子を渡すと、乳母は立ち去った。
 大切に育てられた男の子が十歳ばかりになったとき、今度は夫婦に実子の女の子が生まれた。親はいよいよ喜び、兄妹ともに慈しんで育て上げた。成長して兄が二十四五歳、妹が十四五歳になると、両親は、
『二人きりのわが子を、よそへ出すことはすまい。もともと兄は養子なのだから、娘と一緒にして家も田畑も譲り、わしらは隠居しよう』
と話し合い、とりあえず夫婦の盃をさせた。
 ところが、ある時のことだ。親たちの留守に一人の浪人が来て、家の様子をうかがい、中にいた若者を呼び出した。物陰でひそかに語ったことには、
『何たるお姿ですか。このようにしておられる御身分ではありませんぞ。私は御家代々の家臣です。あなた様の行方を探し求めるうち、かの乳母に行き逢い、委細を聞きました。私が参った上は、ここを出て御家にふさわしく身をお立てください。我ら家臣もお供してお助けします。道は開けますとも。さあ、急ぎましょう』
 このように勧められても、長年ここの両親の世話になって成人し、今は妻まで連れている。たやすく同意できようか。それでも浪人が執拗に説得すると、是非ないことに思ったか、家に入って妻に、浪人と共に出て行く話をした。
 妻はもちろん納得しない。やむをえず妻も伴って家を出た。
 それからというもの、かの浪人はさまざまにして若者夫婦を養いつつ、身の立つ道を求めたが、思い通りにならないまま月日が過ぎた。
『どうもあの女房を連れていては、なおさら埒が明かないようだが、どうしたものか』
などと話すようになり、ついには浪人が、
『ぜひとも女を殺しなさい。さもないと、どうしようもありません』
と言うので、可哀想だとは思いつつ、他国へ向かう旅の途中、大河に突き落として殺してしまった。
 その後も主従で方々を旅したが、結局思うようにはならず、やっとのことで当池田家に召し抱えられた。
 しかるに、妻を殺して二三年が過ぎた頃から、その霊が幻のように見えはじめた。亡霊は昼夜離れることなく、いろいろ仏事を行って弔っても立ち去らなかった。それどころか、当主の代が変わっても消えなかった。
 拙者の代になって多少遠ざかったようだが、それでも時々、昼夜を構わずあのように現れる。もっとも拙者のほうも、今さら人に隠さないし、何とも思っていない。わが家の雇い人のような気さえするので、『またお出になったか』と言って菓子なんぞを与えると、そのまま消えてくれるのだ」

 話を聞いた人々は、みな興ざめして退出したそうだ。
あやしい古典文学 No.543