堀麦水『三州奇談』一ノ巻「火光断絶」より

火の玉を斬る

 加賀大聖寺の全昌寺は、元禄のころ、芭蕉翁が「奥の細道」の行脚で泊まったところとして知られる。翌朝、出立するにあたり門前の柳に一章を残した。
   庭掃いて出でばや寺にちる柳
 惜しいことに、柳は近年の火災で失われて跡形もない。しかし名は世に高く、翁の門人で彦根の人 森川許六が描き、翁の真蹟を張った絵が残っている。これを見ると、まのあたり当日の場面に出会ったような気持ちがする。
 翁に同行していた弟子の曾良は、師と別れて一日前に全昌寺に泊まり、旅の心細さからだろうか、このように詠んだ。
   夜もすがら秋風聞くや浦の山
 この浦風の吹き越してくる山ひとつで北の大海を隔てた佳景は、いまさら言うまでもない。

 元文年間のこととかいう。
 大聖寺藩の小原長八という武士が、夜半、所用あって全昌寺の裏手を通ると、浦風がさあっと吹くのにしたがって、向こうから丸い火がゆらゆら漂ってきた。その夜はとりわけ闇が深かったが、この火によってあたり一面赤々と見え渡った。
 血気盛りで不敵者の長八は、火が目の前まで来たとき、やっ!と抜き打ちに斬りつけた。手ごたえなく空を切ったようで、しかし火の玉は二つに割れ、長八の顔にぺたっと打ち当たった。
 顔全体が糊などをかぶった感じで、両眼は赤い粘膜を透かし、わが眼ながら気味が悪い。あたりの山々も寺院も、ことごとく朱で塗ったかのごとく見える。
 これは突然に鬼や魔物の別世界に陥ったのかと、両手の袖でごしごし顔面をこすったところ、ねばねばした松脂のようなものがおびただしく衣類について、少しずつ普通にものが見えてきた。
 およそ2時間ばかりかかって、元の闇夜に戻った。
 怪我もなく、気も確かだったが、一体何だったのか不審のあまり、近くの知人の門を叩いて起こし、灯火を点じてよくよく調べた。ねばねばしているばかりで、何とも見当がつかないものだった。

 翌日もまだ顔に糊が塗られたようで、どうにも不快だった。しかし、ほかには何の祟りもなかった。
 だいぶ後に、海岸で暮らす老人に尋ねたところ、
「海辺に生じる水クラゲというものが、時どき風に乗って飛ぶことがありますよ。闇夜に見回っていると、なんとなく生臭いにおいがしてきます」
と言ったそうだ。
あやしい古典文学 No.545