十返舎一九『列国怪談聞書帖』「海坊主」より

船に凭れるもの

 いつの頃のことだったか、備前の国 牛窓の沖に、梅雨の季節、一群の船が錨を下ろし、友綱を結んで、西国に向け出帆する時を待っていた。
 その夜、昏々たる海上に、波を動かし、小山のごときものが現れた。
 それは朦朧として忽ち大きく、また小さく、煙のごとく風になびいて、やがて本船の前方へ凭れかかるように見え、とともに舳先は斜めに沈み込んだ。
 恐怖した船頭たちが伺い見るに、まったく人の相貌をしているが、巨大さは島か山がにわかに湧き出したかと疑われた。
 そのまま暫しあって、またいずこともなく立ち去った。
 これを海坊主と呼ぶ。
 形が巨大なのは、長い年月、遭難して海底に没した幾多の人々の霊魂の想いが積もり混じったゆえというが、はたしてどうだろうか。

 また、西国の人の語ったところによれば、海坊主は蛸のような形で、晴天の日によく波上に頭を出すのが見られるそうだ。
 最近でも、西国に船で渡る人に、目撃者が多いらしい。
 私も備中玉島の海で、かすかに蛸のようなものを見たことがある。
「あれは海坊主だ」
と、人が話したのを覚えている。
あやしい古典文学 No.547