三坂春編『老媼茶話』巻之三「会津諏訪の朱の盤」より

朱の盤

 奥州会津の諏訪の宮に、朱の盤という恐ろしい化け物がいる。
 その諏訪神社の前を、ある夕暮れ、歳のころ二十五六になる若侍がひとりで通ることになった。
 つねづね化け物が出ると聞いていたので、内心怖くてならなかったが、たまたま同じくらいの年格好の侍と行き合わせ、『よい連れができた』と喜んだ。
 連れ立っていく道々、若侍が、
「ここには朱の盤という有名な化け物がいるそうな。貴殿もお聞き及びか」
と尋ねると、相手は、
「その化け物とは、こんなものか」
と言うや、相貌を一変した。
 らんらんと輝く目を皿のごとく見張って、額には一本角が生え、顔は朱のごとく頭髪は針のごとく、耳まで裂けた口で歯噛みする音が雷鳴のようだ。
 若侍はたちまち気絶した。

 一時間ほどして気がついて、あたりを見回せば諏訪神社の前だ。やっとのことでよろめき歩いて、一軒の家の戸を叩いた。
「水を一口、飲ませてくれ」
 そこの女房が出てきた。
「水をご所望とは、どうかなさったのですか」
と訊くので、朱の盤に出遭った話をすると、
「まあ、恐ろしい目に遭われましたこと。で、朱の盤とは、こんなものですか」
 女の相貌が一変し、また例の顔になったので、若侍は再び気絶した。
 だいぶ経って息を吹き返したが、その後百日目に死んだという。
あやしい古典文学 No.552