三坂春編『老媼茶話』巻之三「舌長姥」より

舌長姥

 越後から武蔵に向かう二人連れの旅人が、南陸奥の芦野原街道にかかり、諏訪千本の松原で道に迷って日が暮れた。
 はるか彼方に灯火のほのめくのを見て、『やれ助かった』と行き着いてみれば、壁は崩れ、軒は傾いたあばら家で、七十ばかりの老婆が、囲炉裏のはたで苧(お)を績んでいる。
 戸を叩き、
「越後から江戸へ行く者ですが、不案内で道に迷ってしまいました。どうか夜明けまで宿を貸してください」
と頼み込むと、老婆は立って戸を開け、
「ここは宿屋ではないけれど、道に迷ったなら是非もない。泊めてあげよう」
と言って、中に迎えてくれた。

 秋が深く、落葉が寥々と散り敷き物寂しい時節だ。老婆はそんな落葉を焚いて茶を入れ、旅人をもてなす。
 やがて一人の男は、旅の疲れか正体なく眠り込んだ。
 もう一人はまだ寝つかず、柱にもたれて、なかばまどろんでいた。
 ふと気配を感じて見ると、老婆が目をかっと見開き、口をあけるや五尺ばかりの大舌を繰り出した。そのまま首を伸ばして、眠っている旅人の頭を嘗め回す。
 ぎょっと驚いて咳払いすると、さりげないふりでまた苧績みを続けた。

 そのとき、窓から内を覗き込む者があった。
「おい、舌長姥。何を手間取っているのだ」
 老婆が、
「誰だ」
と問い返すと、
「諏訪の朱の盤坊だ。手伝ってやろう」
 中に入ってきた者はといえば、顔の長大なこと六尺あまり、その顔面が真っ赤で、朱塗りの盤のようだ。
 旅人はとっさに刀を抜き、はっしと斬りつけた。
 斬られて坊主は消えうせたが、老婆は眠っている旅人を引っ掴んで表へ出た。
 とともに、今まであったあばら家は跡形なく消えて、荒涼たる野原が広がっているばかりだった。

 旅人は仕方なく、大木の根方に腰をかけて夜を明かした。
 日が昇ってから辺りを捜し歩くと、ずっと離れた草むらに、もう一人の旅人は、頭から全身の肉を皆ねぶり喰われ、骸骨ばかり残っていた。
 旅人は、そこから白河の城下に辿り着き、この出来事を人々に語ったという。
あやしい古典文学 No.553