『新御伽婢子』巻一「遊女猫分食」より

猫の食い残し

 肥前の長崎は外国船が寄港する町で、目もあやな織物、糸類、薬種、そのほか種々の珍しい品々が渡来する様子は、年々とどまることを知らない。京都・大阪・堺の商人がここに集まって交易をなし、それによって町の繁華は大阪をもしのぎ、京都に負けないほどだ。
 そして、この地の丸山というところは、昔の江口・神崎などに等しい賑わいの遊女の町となっている。

 ある夕暮れ、歳のころ十六七の若衆が丸山に現れた。上品な身なりで腰刀にも金銀をちりばめ、編笠を深々とかぶりながらも、垣間見える容色はたとえようもなく美しい。下僕は連れず、ただ独り見物する様子で通りを行く。
 行き会う人はみな目を奪われ、『こんなにも優美な人が、ほんとにこの世にいるものなのか』と訝しむまでに賛嘆した。
 そんななか、左馬の介とかいう遊女が、この若衆に一目惚れした。
 さっそく一筆書いて、お付きの童女に持たせて渡すと、そこは相手も遊郭に来た者だから、拒む理由もない。店に上がって情を交わす次第となった。
 錦のしとねの上に芳しい香をくゆらせ、桜の花と海棠の花を並べたような二人のさまは、この世に比類ない美しさに見えた。

 むろんのこと、店の主人も種々の饗応につとめたが、この若衆は、精進物には目もくれず、なまの魚や鳥の料理ばかりをがつがつと平らげた。
「あれほどの美少年が、意外なふるまいをするものだ」
と、物陰から見た人は呟いたものだった。
 翌朝になって帰ろうとするとき、若衆は金子五両を当座の金として支払ったので、主人は喜んで丁重に見送りした。
 遊女左馬の介はまたの日を約束しつつ、別れの心残りを嘆いたが、男が帰っていく先を知らなかった。
 その後、かの若衆が通ってくること二十度ばかり、文字を書かせればみごとな手跡、歌にも優れ、何かにつけて風雅な人柄であった。
 折にふれて居所を問うと、
「きわめて人目を避けねばならぬ身なので、明かせないのだ」
などと言って顔を赤らめるので、
「問われるのを煩わしいとお思いのようだ。どんな高貴な方の御子なんだろうか。それとも、もしかしたら御城主などの児小姓をおつとめなのか」
などと言い合った。

 あるとき店の者に命じて、ひそかに跡をつけさせたところ、若衆は長崎のとある町家に入っていった。
 その家の亭主に会って、若衆のことを話し、
「こちらに、このような御子息がいらっしゃるか。または上方の客人で、そうした方がいらっしゃるか」
と尋ねると、思いもよらない様子で、
「なんでまた、そんなことをお尋ねか」
と聞き返す。そこで、これまでのいきさつを詳しく述べたところ、亭主は黙然として頷いた。
「それならば、思い当たることがあります。この家に、飼って久しい猫がおりまして、世間の人はその猫が化けると申しますが、私はまだこの目で見たことがありませんでした。きっと、あいつの仕業でしょう。このままにしてはおけません」
 亭主は、わざと優しい声で猫を呼んだ。しかし早くも感づいたものか、どこかへ姿をくらましていた。
 近所・町内を狩り立てて捜し、三町ばかり離れた家の板敷きの下に隠れているのを見つけて、すさまじく猛って暴れるのを、大勢で突き殺した。

 この噂は、たちまち国中に知れ渡った。
 左馬の介は「猫の食い残し」と綽名され、遊女の面目を大いに失った。
あやしい古典文学 No.559