愚軒『義残後覚』巻之三「人玉の事」より

魚津城の人魂

 『怒りや怨みの一念が凝り固まって、瞋恚の炎(しんいのほむら)という罪深い火を生ずる。これは確かなことだ』と説く人は、僧侶と俗人とを問わず数多い。
 しかし私は、自分の目で見ないうち、なお疑いが多かった。実際に眼前でその火が燃え上がるのを見たときから、仏を頼って徳行を積むことの大切さを、深く感じるようになったのである。
 これと同様なこととして、『人にはそれぞれ人魂というものがある』と歴々の人々が明白な事実らしく語るのも、私はなかなか納得しきれなかった。
 そんな私に、北国の人がこんな話をした。

「越中の魚津城を、佐々成政が攻めたときのことだ。
 城方は必死に防戦したが、多勢の寄せ手が激しく攻めつけたため、しだいに弱り力尽き、いよいよ明日は落城、身は討死と覚悟するにいたった。おのおの暇乞いなど交わすかたわらで、女子供は泣き悲しむことかぎりなく、その哀れさは言葉にならない。
 そうこうするうち、はや日が暮れた。とともに、城中から茶碗ほどの大きさの光の玉が、幾らともなく飛び出して散っていった。寄せ手の衆はこれを、
『おお、見ろ。あんなに人魂が出る。城ではきっと死に支度をしておるぞ』
と言って、我もわれもと見物したそうだ。
 夜が明けて魚津城から、降伏開城とひきかえに城方一同の助命を請う旨の使者が立ち、佐々成政はそれを受け入れて和議が調った。この結果に、身分の上下を問わず喜んだことは言うまでもない。
 かくして、その日も暮れた。すると昨夜飛び去った人魂が、またどこからか現れ出て、みな城中めさして戻っていったのだ。
 これを見た人は幾千人もいる。まったく不思議な出来事ではないか」
あやしい古典文学 No.563