『南路志』巻三十六より

山犬の怨念

 西川村の郷士に、永田段作という者がいた。
 娘を一里ばかり離れた隣村に縁付けていたが、宝永五年五月十五日の夜、その娘がお産したと知らされるや、初産のことゆえ気がかりで、ただちに見舞いに駆けつけた。
 行って見れば、ことのほか安産の様子で、母子ともにすこやかであった。
「安堵しました。では、これにて」
と帰ろうとすると、婚家の人は老人を気遣い、
「随分夜も更けましたから、今夜は泊まって、明日早々にお帰りなさい」
と留めた。それを、
「いや、田畑の仕事がずいぶん多忙で」
と辞退して、ただ独り夜道を戻っていった。

 山坂を行くとき、脇のしだ原から一頭の山犬が跳び出して、段作の後になり先になりしながら付け狙った。
 段作には居合斬りの心得があった。間合いをはかって抜き打ちに斬りつけた。
 真二つにしたつもりが、山犬はどこへ消えたか、姿が見えない。『仕損じたか。残念』と思って刀を見ると、血のりにまみれていた。
 麓の小川で刀を洗って、家に帰り、妻子に娘の安産の話をして床についた。

 それから二十日ばかり過ぎたころ、家の中に悪臭が漂いはじめた。
 臭気は日を追って酷くなり、やがて食事もできないほどになった。
 なんだろうかと色々調べても原因が分からなかったが、段作の次男が、
「よくよく考えてみるに、どうも親父さまの寝間から臭いが出ているようだ」
と言って、その部屋の畳を上げ、敷板を外して床下を見ると、大きな山犬の死骸があった。
 山犬は、わずかに紐皮ばかり残して胴斬りにされていた。傷口の肉が腐り爛れて、夏の盛りということもあり、おびただしい臭気に吐き気を催し、気絶せんばかりだった。

 すぐに死骸を引き出して、野原で焼き捨てた。そのとき段作が言うには、
「こないだ娘方から帰るとき、坂道で山犬に付けられたので斬ったが、さては山犬のやつ、仕返ししようと、わしのあとを追って家に忍び入ったのだな。だが深手のために本望を達せず、床下で死んだのだろう」
 家族は初めてこのいきさつを聞き、山犬の怨念の深さを思い知ったとのことだ。
あやしい古典文学 No.565