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『新御伽婢子』巻六「魂廻家」より |
死んだって我が庵 |
大和の郡山あたりに、ある尼のもとで召使いとして働く男がいた。 長く勤めて金銀もだいぶ蓄えたので、自分の庵室を建て、召使いを辞めて気楽に暮らそうと考えた。 ところが、庵の造作にかかった翌日から体調を崩し、次第しだいに弱っていった。 棟上の日、人に助け起こされて我が庵を眺め、喜んでいたが、その夕刻に息を引き取った。 念願の家に移り住むことなく死ぬのを悲しみ、無念残念の思いを残して絶命したためであろう、それから毎夜欠かさず、男の亡霊がかの庵にやって来た。 ある夜、男は主人だった尼の夢にも現れた。 尼が、 「どうしてこの浅ましい仮の世に心をとどめて迷い来るのじゃ。早く執着を去り、後世の安楽を願うがよい」 とさとすと、亡霊が、 「尼様のそば近くに長年お仕えし、教えを受けた身ですから、それくらいの道理はわきまえております。けれど多年の労を積み、功をなし名をとげた上で心安らかに暮らそうと思った我が庵に、一日も住まずに死ぬとはあまりに心残り。とても思い切れるものではありません」 と応えたところで、はっと目が覚めた。 尼は悪夢を見て汗みずくの様子で、人に語ったという。 その後も亡霊が来ることは止まなかった。 生前の姿そのままであらわれて佇んでいるときもあったが、あるときは口から火焔を吐いて庵が炎上しそうになったため、人々が駆けつけて消し止めた。 このことがあってから庵を結界したので、室内に入ることができず、外をぐるぐると巡った。 つまるところ庵があるから亡霊が来るのだということになって、解体して他所に移したが、その後も庵の跡にやって来た。 ある夕暮れ、生前の姿で近所の人の前に姿を見せて、 「ここにあった庵はどこへ行ったかね」 と尋ねた。 「しかじかのところに移されたのだ」 と教えるやいなや、かっと見開いた眼も凄まじく、火焔を吐いて我が庵のありかに飛んでいった。 そしてまた、日が暮れると庵の周囲を廻るようになったのである。 |
あやしい古典文学 No.569 |
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