田中葵園『佐渡奇談』中之巻「川上五郎左衛門大金を得る事」より

大晦日の棺桶

 佐渡の長畝・二方潟の両村で長者として知られた川上五郎左衛門は、相川から移住してきた人で、もともと貧乏ではなかったものの、当初はさしたる暮らしでなかった。

 寛文年間のある年の大晦日、夜も更けた時分、棺桶を担いだ見知らぬ人が五郎左衛門の門戸を叩いて、
「今夜は急な都合で寺まで送ることができぬ。この棺桶、明日まで預かってくれまいか」
と頼んだ。
 五郎左衛門は気の弱い性質で、断ることができない。二つ返事で引き受けてしまったので、家族の者は、
「縁起でもない」
といまいましげに囁きあった。

 それから元日、二日と過ぎて、三日になっても受け取りに来ない。正月七日が過ぎてから来るつもりかと待ちわびたが、八日の日もついに来なかった。
 さすがに五郎左衛門も呆れ果て、名主に知らせるとともに近隣の百姓を集めて相談を重ねた。その中で、ある老人が言うには、
「この棺の亡者が誰かも知れず、送る寺もわからないのでは埒が明かない。とにかく棺を開けてみよう。手がかりがあるかもしれない」
 そうしようと一決し、皆うち寄って開いてみると、中に死骸はなく、甕が一つ入っていた。その甕の中には、金の大判や大小の銀が限りなく充満していた。
 金銀は、集まっていた人々に分け与えても、まだごっそりと残った。

 以来、川上五郎左衛門は大いに富み栄えたのである。
あやしい古典文学 No.573