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『古今百物語』巻第五「依業因糞土入死」より |
糞に浸る男 |
江戸の牛込に、橘屋甚六という町人がいた。 あるとき甚六が、所用あって京に上ろうとしたところ、隣家の友人も同じく京へ向かうと言うので、二人連れ立って旅に出た。 最初の泊まりは戸塚の宿だった。 ところが夜が明けてみると、甚六がいない。もはや宿を立つ頃になっても、どこへ行ったのか姿を見せない。 友人は慌てて捜しまわった。あちこち尋ね歩いたあげく、近所の家の裏の便所を覗いて、糞壺に頭から突っ込んでいる甚六を見つけた。 急いで連れ出して行水させ、衣服を着替えさせると、甚六は涙を流しながら言うのだった。 「わしは、さる高貴な女を思いそめ、仲人を頼んで婚礼の手はずも万端ととのえていた。今婿入りに行くところだったのに、なんで引き戻したのか」 友人は驚き呆れたが、その後も涙に咽んで恨みごとを言いつのるのを、道すがらさまざまに宥めて伴い行き、ようやく日が暮れかかったので、江尻の宿に泊まった。 その夜 友人は、甚六の様子を気にかけて目覚めていた。しかし夜半時分、少しまどろんだ隙に、甚六は姿を消していた。 しまった! ととび起きて、厭な予感がしながら捜すと、やっぱり便所にいた。糞の中に肩先まで没していた。 やっとこさ糞から引き出し、あれこれ世話しながら、一体どういうわけかと問うた。 甚六が言うには、 「わしは舅の家に行き、婚儀もめでたく相済んだ。今恋い焦がれた女と床入りというときに、なんで引き戻すのだ」 友人は宿の主人に事情を話して、ともかく江尻を出立することにした。 二人は夜のうちに三里行って、別の宿に泊まった。 すでに深夜三時も過ぎた頃、友人は疲れがどっと出て、前後不覚に眠り込んでしまった。 夜が明けて甚六の寝床を見ると、またまた姿がない。 便所だっ! と慌てて駆けつけると、案の定 そこにいた。ただし今度ばかりは、全身糞に浸かって死んでいた。 急いで引き上げたが、とっくに息絶えて手当てのしようもない。 やむなく甚六の荷物・道具などを江戸の妻のもとに送って、その事情を知らせたという。 |
あやしい古典文学 No.583 |
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