阿部正信『駿国雑志』巻之二十四下「老婆殺河伯」より

河童を殺した老婆

 駿河国、安倍郡浅畑東村には、こんな言い伝えがある。
 この村の彦左衛門という者の祖先にあたる老婆は、小吉という孫娘が河童に取られて溺死したのを悲しみ嘆き、ついに浅畑池に入水した。
 水神と化した老婆は、河童を捕らえて孫の仇を報じると、大谷村の瑞現山大正寺の開山僧 行之のもとに出向いて菩薩戒を受けた。
 今の諏訪明神は、この老婆の霊を祀ったところだそうだ。

 別に、『浅畑池由来』には次のようにある。
 建武年間に脇屋義助が守護として在国のおり、瀬名村の村長某の娘を寵愛して、小葭という名の女子をもうけた。
 観応二年七月、祖母が病にたおれたため、小葭は浅間神社に詣でて祈ろうとしたが、途中、巴川まで行ったところで河童に取られて水底に引き込まれた。
 祖母は悲嘆のあまり巴川に身を投げ、魂魄を水にとどめて河童を殺した。
 その後、浅畑池に蓮を生やして、人々の助けとしたという。
あやしい古典文学 No.586