阿部正信『駿国雑志』巻之二十四下「巨蟒化美童」より

大蛇を殺した長者

 駿河国、益頭郡長楽寺村の言い伝えによれば、はるか昔の仁安年間ごろ、この里に粉川長楽斎という郷士がいた。妻は伊勢神戸の住人 神戸蔵人某の娘であった。
 祖先より代々豊かに暮らし、夫婦ともども仏法に深く帰依していたので、世の人は粉川長者と呼び、また仏心長者とも称した。
 長楽斎夫妻には、賀姫という女子があった。齢十六、まことに美しい面立ちで、父母の寵愛を一身に受けていた。
 賀姫もまた仏を深く信仰し、父が近くの山の麓に安置した薬師仏に毎朝詣でることが、もう何年もの習いであった。

 里の東の山を越えたところに、真池という周囲一里ばかりの池があって、池中には大蛇が棲んでいた。
 その大蛇が美少年に化して、薬師仏に通うようになった。日を重ねてとうとう賀姫と深い仲になり、姫を誘って池に引き入れた。
 父母が限りなく悲しみ嘆いたのは言うまでもない。
 長楽斎は怒りに堪えず、砂石を焼いて炎火となし、鋼鉄を溶かして灼熱の湯とし、これでもか、これでもか、とばかりに池に投げ込んだ。
 大蛇に逃れるすべはなかった。沸騰する池水の中で焼け爛れて死んだ。

 長楽斎は亡き賀姫の冥福を祈るために、おのれの屋敷を寺院とし、かの薬師仏とともに阿弥陀仏を本尊としてまつった。今の青龍山長楽寺がそれである。
 その後、大覚禅師の鎌倉下向の際、長楽斎の子孫の某が禅師を招いて供養をなし、開山とした。
 建長七年に火災に遭ったが、正中年間に伽藍を再建し、鎌倉金峯山浄智寺の芝巌を招いて中興とした、などと伝えている。
あやしい古典文学 No.587