椋梨一雪『古今犬著聞集』巻之一「大欲の姥、誤て首をくくる事」より

首吊り裁判

 寛文元年、江戸の八丁堀に住む齢六十あまりの医師が、妻を迎えた。
 嫁に来たのは、まだ十六歳の女だった。おそらく仲人に騙されたのだろう。

 女はわが身を嘆いて、隣家の婆に相談した。
「十六歳の身で、六十を回った老人に添うのは、情けなくて堪えられません。かといって、親元に帰る手立てもないので、いっそ首をくくって死のうと思います」
 婆は最初、
「おまえさんの若さでは、そう思うのも無理ないが、夫婦の縁は結びの神のなさること。是非もないと思い定めて生きるべきだよ」
などと、実らしく説いていたが、
「わたしが死んだら、手箱に入れてある金子二十両を差し上げます。首のくくり方を知らないので、教えてください」
という言葉を聞いて、身を乗り出した。
「そうかい。そこまで思い詰めたなら仕方ない。教えてあげよう。たやすいことだ」

 婆は天井から縄を下げ、土間に桶を積み重ねて上にのぼった。
「まず縄を首にこう掛けて、こう絞めて……」
と手順を見せているとき、ふと桶を踏み外した。
「おゎっ! んんぐぐ〜〜〜〜!!!」
 吊り下がってぶらぶら揺れる婆を見て、
「まぁ、大変」
 女が大声で人を呼んだので、町内の者が駆けつけた。すぐに縄を切り、婆を下ろしたけれども、もう息が絶えて手遅れだった。

 婆の息子は、町奉行 渡辺大隈守に、『ぜひ仇を取ってください』と訴えた。しかし、
「それには及ばない。堪忍せよ」
と取り合ってもらえない。これでは話にならないと思い、医師を相手に訴訟を起こした。
 奉行の裁きは、
「これしきのことは、言わずとも分かると思っていたが……、そもそも、その方の母は大欲不道の者で、罪科は軽くないのだ。生きていれば、世間の見せしめに懲罰を加えるべきだが、死んでしまったから仕方ない。悪人の子であるその方も、咎を免れることは出来ないぞ。斬首がふさわしいところを免じて、百日の入牢を申し付ける」
 また、医師に対して、
「その方の齢といい、法体といい、十六の妻とは万事が不似合い。まことに不届き至極である。厳しく罰すべきところ、その咎を免ずるゆえ、早く妻女を親元に送り帰せ」
 散々な言われようで、医師は大いに面目を失った。
あやしい古典文学 No.594