『大和怪異記』巻三「出雲国松江村穴子の事」より

松江の穴子

 但馬の国の人が、先年、わけあって出雲に行ったときのこと。
 松江という村に、穴子という十歳ばかりの男の子がいた。珍しい名だと思って、
「どうして穴子というのですか」
と土地の者に聞いたところ、こんな話をしてくれた。

「穴子の母親は、ほかならぬあの子を懐妊中に、急病に罹って死んだのだ。夫は悲しみに堪えず、『とてもすぐには思い切れない。せめて死骸を二三日置いて、名残を惜しみたい』と請うたが、女房の父母が、『死んだ者を家内に久しく置くなど、とんでもない。急いで葬るべし』と叱って、その日のうちに土葬にした。
 夫はなおも嘆いて、墓の上に三日三晩臥していた。これを見る人は、『未練な男だ。人の生死は定まったもの。いかに悲しいからといって、ああまでするか』と謗りあったものさ。
 こうして三日目の夜半のこと、墓の中で赤子の泣く声がしきりにする。夫は『さては!』と思って、わが家に走って鍬を持ってきた。墓を掘り返すと、女房がたちまち蘇ったのだから驚きだ。子も生まれていたので、夫は大喜びで連れ帰った。
 その後、女房の肥立ちも順調で、子も健やかに育った。そんなわけで、あの子は穴子という名がついたのだよ」
あやしい古典文学 No.596