大田南畝『半日閑話』巻十六「青山の男女お琴が後聞」より

青山の「男女」お琴の後聞

 先だって記した男女(おとこおんな)の話の真相を聞き及んだ。

 事の起こりは三年前、矢藤源左衛門が大御番を仰せ付けられて大坂へ上ることになったときだ。
 源左衛門は長旅の支度金を用意できず、やむなく娘を新宿の茶屋へ質において、
「大坂へ着いたらすぐに返済する。万一返せなければ、勤め奉公なりなんなり、娘をいかようにもしてくれ」
との約束で、金子二十五両を借用した。
 しかし、大坂で返済分を調達できず、あれこれ言い訳して江戸に戻るまで待たせたが、戻ってもいっこうに金が作れない。
 ついに娘の命運も決しようという事態になって、困り果てた源左衛門は、以前より心安く出入りしていた男女に相談を持ちかけた。
 男女は、かねてより娘に執心していたから、絶好の機会と思って即座に引き受けた。
「金子は私が立て替えましょう。そのかわり、娘御は私方で預かります。金子が調達できしだい、お返しいたします」
 約束の証文を源左衛門からとると、茶屋に二十五両渡して娘を取り返し、そのまま自分の家に引き入れて、淫行をほしいままにした。

 しかるに、源左衛門の奥方というのが、なかなかの悪人だった。娘を餌にして、さらに男女から金子を借り重ね、あるいは櫛・簪などをねだらせた。
 やがて男女の言うことには、
「かれこれ一年たちますが、金子御返済の話は全くありませんな。それどころか、追々御用立てした金子も合わせますと、七十両ばかりになります。この際どうでしょう、あと三十両出しますから、娘御をいただけませんか。もっとも普通に貰うわけにもいかない話ですから、表向きは出奔ということにして……」
 源左衛門は仕方なく親類衆に相談したが、納得しない者もいる。それで、何のかのと返事を先延ばししていた。

 そんなおり、奥方が娘に計略を持ちかけた。
「あの男女に『連れて逃げてくれ』と頼むがよい。きっと二つ返事で請け合って、駆け落ちするにちがいない。それをこっちが追っかけて捕まえれば、借金は丸ごと踏み倒して、お前を取り返せる」
 承知した娘が、男女に、
「親類衆は難癖ばかりつけて、埒が明きそうにないわ。ねえ、いっそわたしを連れて逃げてよ」
と頼むと、案の定すぐ乗り気になって、二人で八王子まで逃げた。
 間髪をおかず、矢藤の親類衆は追っ手を走らせ、二人を捕らえた。これは、奥方があらかじめ娘に、
「どこであれ宿に落ち着いたら、すぐに書状をよこすんだ。早々にこっちから人を遣るから」
と手はずを伝えていたからで、それゆえ隠れ家もたちまち露見したのである。

 ひとまず二人は、親類衆の家に引き取られた。
 男女は不義者として追放されるところだったが、大いに立腹して居直った。金子のことを激しく言い立てて一歩も引かない有様に、親類衆も持て余したあげく、どういう考えからか、
「男になって来たら、娘を遣わそう」
などと言ってしまった。
 男女はすぐさま家に帰ると、野郎になって立ち戻った。
「御約束の通りにしたゆえ、娘御を貰いたい」
 親類衆は、『この上公儀沙汰に及べば、金子の証文のことがあからさまとなり、矢藤家も危うい』との思いから、ついに娘を男女に渡したのだという。

 珍事件である。矢藤夫婦は、人でなしの大馬鹿者としか言いようがない。
 その後に男女も、町奉行の手の者に捕縛されたと聞く。
あやしい古典文学 No.605