『江戸真砂六十帖』巻之三より

炮録島 入定の沙汰

 江戸中建立の奉加をして、浅草の炮録島に庵を結んだ真言宗の坊主が、
『このたび入定いたし候』
と、あちこちの木戸に張り紙し、日限も書き付けた。
 入定に至るまでに数多くの規式があり、それを珍しがる参詣人が群集して、界隈は大いに賑わった。

 日限が近づくにつれ、『入定の穴に抜け道があるらしい。確かな話だ』との噂が広まった。
 坊主を憎む心からだろうか、当日、誰が声をかけたわけでもないのに、炮録島に不穏な若者が集まってきた。

 日中に回向して、坊主はもっこに乗り、鉦の音に合わせてそろそろと穴に下ろされた。
 底まで下りきると、読経とともに穴に蓋がされた。
 そこへ若者どもが押し寄せて、蓋を取り除け、
「それ、抜け出る前に埋め殺せ」
と、土やら石やら次々に投げ込んだ。
 たちまち埋め尽くして、塚のように土を盛り、その上に大勢登って踏み固めたという。

 大変な騒ぎで、大勢の見物衆に怪我人が続出した。
 あるいは懐中物を失い、また履物などもなくして、みな命からがらで帰ったそうだ。
あやしい古典文学 No.606