『宇治拾遺物語』巻第六「賀茂社より御幣紙米等給ふ事」より

参籠三百日

 昔、比叡山に、極貧の僧がいた。
 あまりの貧しさに、なんとかならないかと、鞍馬寺に七日間参籠した。
 『夢のお告げで幸運を授かりたい』と思って参籠したのだが、夢を見なかったので、さらに七日間籠もったが、やっぱり見ず、延長を繰り返して、とうとう百日になった。
 その夜、
「わしには、かかわりのないことだ。ま、清水にでも頼んでみたらどうじゃ」
とのお告げを夢に見た。
 明くる日から清水寺に参って、ここでも結局百日間参籠すると、
「わしも知らんぞ。そんなことは賀茂に行って申せ」
とのお告げであった。

 今度は賀茂神社に行って、七日間の参籠の延長を繰り返しながら、『よい夢見たい、ぜひ見たい、お告げはまだか』と念じ続けて百日目の夜、
「おまえが一途に参っているのが、ちょっと気の毒になったので、このうえは、御幣紙と打ち撒きの米を確かに取らせよう」
とおっしゃる夢を見て、はっと目覚めた。
 僧はひどく落胆して涙ぐんだ。
 『あちこち参り歩いたあげく、こんなみみっちいお告げを聞くとはなあ。打ち撒きにする程度の米を貰ったって、どうなるというのか。ああ、このまま比叡山に帰るのも格好悪い。いっそ賀茂川に飛び込んで死のうか』などと思ったが、さすがに身投げはできなかった。

 『神の言葉の真意はいかに』と知りたい気持ちもあったので、僧は元の僧坊に帰って待つことにした。
 ある日、外から、
「お知り合いからの届け物です」
と声をかける人があった。
 僧が出てみると、荷ってきた白木の長櫃を縁側に置いて、その人は帰っていくところだった。不思議に思ってあとを追ったが、たちまち姿を見失った。
 長櫃を開けてみると、白い米と良い紙が詰まっていた。
「呆れた。夢に見たままじゃないか。ああはおっしゃっても、言葉の綾かと思っていた。本当にたったこれだけだったんだ」
 僧はあらためてがっかりしたが、どうしようもないので、その米をあれこれの用途に使った。
 使っても使っても、米の量は変わらず、尽きることがなかった。
 紙も同様で、いくら使っても無くならなかった。
 この米と紙で、僧は、格別の金持というわけではないが、なかなか豊かな暮らしが出来るようになったのである。

 やはり、物詣(ものもうで)は気長にやってみるものだ。
あやしい古典文学 No.612