『梅翁随筆』巻之二「妖怪物語并夜女に化し事」より

妖怪物語二題

 本田氏の奥方だった円晴院という人は、若いころ、六番町三年坂中ほどに住まいしていた。
 そこは化け物屋敷で、さまざまな怪事があった。
 夜更けに、行灯のもとに女たちが集まって仕事をしていると、横にいる朋輩の顔が急に長くなり、かと思うと極端に短くなった。あるいは、恐ろしい形相に変じて消え失せたりした。
 座敷で火が燃え上がるのはしょっちゅうだった。
 あるときは、病気で寝ているはずの侍女が、紫色の足袋をはいて掃除していた。変に思って女の寝所へ行ってみたが、やっぱりそこに臥せっている。もとのところに戻って見ると、掃除をしていた女の姿はなかった。
 こんなことがうち続いて難儀この上ないため、ついに加賀屋敷に転居する次第となったそうだ。

 もう一つ、「転居」で思い出したことを記しておく。
 明和九年二月二十九日、江戸の大半が焼失する大火災があった。「目黒行人坂の火事」である。
 その火がまだ消えない同日の夜、牛込若宮八幡宮脇 加藤又兵衛の屋敷に住み込む中間(ちゅうげん)が、市谷左内坂を歩いていると、綺麗な女が泣いているのに出逢った。
 どうしたのかと尋ねるに、焼け出されて行くところがないのだという。
「そんなら、俺のとこで一晩明かしたらどうだ。明日、家の者や知り合いの行方を捜したらいい」
 女はほっと安心した様子で、後をついて来る。中間は内心大喜びした。『さあ、どうしたものか。男の一人暮らしだから、何をしようと差し障りはないぞ』
 女を伴って中間部屋に入ると、囲炉裏の火を盛んに燃やし、食うもの飲むものと存分にもてなした。
 そうするうち覚えず少し居眠って、ふと目を覚ましたら、女も居眠りしていたが、その口元に長い毛が生えているようだ。
「ん? 何だコリャ」
 きっと目を開いて見ると、女はいつの間にか古狸になって、大睾丸を広げて火にあぶりつつ、いい気持ちにまどろんでいるのだった。
「おのれクソ狸。よくも化かしたな。打ち殺して狸汁に……」
と打ちかかると、狸もはっと目覚めて驚き、窓から飛び出し逃げ去ったという。
 その屋敷は、加藤又兵衛が他所へ移って、今は一色喜間多の住まいとなっている。
あやしい古典文学 No.616